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2024-03-30

明日、第二回目のシェイクスピアリーディング音読会の前の日の五十鈴川だより。

 昨日はじめて薪ストーブを焚かなかった。一昨日長女と孫二人が帰京し普段通りの生活に昨日から戻った。昨日は午前中いつも通り肉体労働に従事し、今日明日はお休みである。この一週間目まぐるしく時間が過ぎたので、落ち着いてニュース報道に触れていない。

倉敷昆虫館でのノアは

私が個人的なことに時間を割いている間にも、ロシアのテロ、大谷さんの問題等、相も変わらぬ(失礼)報道が飛び交っている様相だが、もうほとんど五十鈴川だよりでは触れる気にはならない。だが無関心というわけではもちろんない。あくまで五十鈴川だよりでは打つきが起きないというだけのことである。

いまはただ、おのれの今を見つめる、老いゆく今を活性化させるようなワクワクすることや、今もっとも打ちたいことを、打てるときに打っておきたいというだけである。と、ここまで打ったところでNさんから電話がかかってきた。

Nさんからシェイクスピアのリーディング音読に関して、非常に前向きな提案を朝いちばんのお電話でいただいた。音読チームでライン繋がりにまずなるという。それはすでに実現し、早速女性で参加されているTさんと私がご挨拶を交わしあいました。老いの体にワクワク感がわいてくる。

Nさんは多岐にわたっていろんなことをされておられている、実にユニークな方なのであるということを徐々に私も認識し始めているのだが、そのかたが私の日本語のシェイクスピアリーディング音読にかくもご尽力していただける幸運には言葉がない。私がやれないことをNさんは全面補足し、その上新しいアイデアを順次打ち出して、面白い展開に導いてくださるのだから。シンプルでパーマネントな随時参加者を募るようなフライヤーも作ることになった。

春、大地から一斉に新しい芽が吹き出してくるかのようなこの季節に、第一回の間違いの喜劇のリーディング音読が無事すみ、明日あっという間に第二回目のリーディング音読ができるとは、これほどスムースに事が展開するとは思いもしなかった。体はくたびれているがここちよい疲れである。今日充分に休んで明日のレッスンに備えたい。

手術後のこの3年間、いつか再びリーディング音読することを諦めなかったことが、かえすがえすもよかったと今は春風が体を吹き抜けてゆくかのようである。私は過信はしていない。老いの身体を充分に勘案しながら今現在やれるレッスン、いい意味で世阿弥がいっているような(よくは理解していないかも知れないが)枯れた花のようなレッスンを私は夢見る。参加者の情熱に老いゆく私が水を注ぐようなレッスンがやりたいと、やれる手応えのようなものを、私は初回のレッスンから感じたのである。参加者の情熱が私に乗り移るのである。

春は出会いと別れの季節である。諦めなかったお陰で世代を越えて、というかいちばん若い参加者の男性は20代である。私の友人以外は皆さんずっと世代が若い、私の娘たちと同じくらいのかたもいる。初見で物怖じせず堂々と音読する。飛び込まない限り泳ぎは上手にはならない。泳ぎたければ水にはいる。シェイクスピアの長い台詞を息をたっぷりすって音読するのは修行がいる。だが、自力で泳げたら楽しいのだ。

数々の珠玉の作品の登場人物の言葉を、唯一の自分の体で格闘し音読する、できる喜びを参加者には是非見つけてほしい。そのためのリーディング音読のコーチに私は情熱を注ぐ覚悟である。

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