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2024-03-27

【間違いの喜劇】第2回目のリーディング音読、岡山市庭瀬の吉備公民館に決まる、そして想う。

 春の嵐を思わせる天候がこの4日間続いていたが、今日はどうやら晴れそうである。一昨日夕方から長女と二人の孫が帰省しており、我が穏やかな老夫婦生活は一足先にまるで桜が一気に咲いたかのような賑やかさに家中が包まれている。

我が家のはっさく松岡和子先生にも送った

5月2日生まれの未彩(みあ)はまもなく一歳、望晃(のあ)は今月13日6歳になったばかりである。家には犬のメルと猫の花がいて、ミアは最初怖がっていたが、昨日はすっかり馴れてメルの耳をつかんんだりしてふれあっていた。ノアは昨日雨のなか朝いちばん、私と倉敷の昆虫館に行ったり、夕方図書館や、私のバイト先に行って農工車に乗って遊んだりと、お爺の私は忙しい。今日もまた長女たちと老夫婦は何かと忙しくなりそうだが、その前につかの間の五十鈴川だよりタイムである。

ところで、第一回の間違いの喜劇のリーディング音読が無事にすんだことは、前回の五十鈴川だよりに打ったが、思った以上に参加者の反応がよく、それも初めてシェイクスピア作品を音読した、30年の面識交遊がある71才になるS氏、私のいちばん長い交遊のK氏(この二人は翌日我が家で有料の個人レッスンをした)をはじめ、ほぼ全員が次のレッスンを望んでいるらしい。

講師をつとめた私は思わぬ手応えがとても嬉しく、私は全5回のレッスンでは発表会にこぎ着けるのは難しいので、せめてその倍くらいのレッスンと、日時の都合で参加できない方のために、任意での個人レッスンを平日午後我が家でやりたい旨を主催者のN氏に伝えたところ、N氏が素早く動いてくださり、第二回目のリーディング音読レッスンは岡山市庭瀬の吉備公民館で3月31日日曜日、午後1時から5時までやることいなった。

N氏がレッスン会場をすぐに決めてくださった行動力に感謝したい。おそらくこのペースで4月、5月と進めば6月末か、夏休み7月頭までには発表会にたどり着けるところまで行けるように、私としては熱く冷静にレッスンをやり続けたい。3回目のレッスンは4月7日、4回目は4月14日いずれも午後が、場所は未定だがすでに決定した。

思わぬというか、意外な展開の広がりに私の心はにわかに沸き起こる暴風雨のような様相と言ったら、言い過ぎかもしれないが、何か新しいことをやるのであれば、これまでやっていたことをあくまでも踏まえながら、新しい人たちと(年齢は関係ない)出会う冒険、場を設定しなければ、何事も産みだし得ないと考える。

ぬるま湯に浸かっていることすら自覚ができないような、ふやけたレッスンだけはやりたくないのだ。シェイクスピアに申し訳ない。かといって厳しさ一辺倒のレッスンも私はやりたくはない。一言で言えば参加者の情熱が私に乗り移り、相乗効果をいやが上にもスパイラル状に舞い上がってゆくかのような、つたなくとも意外な生きている表現が生まれてゆくようなレッスンを私はやりたいのである。

最初のレッスンで高齢の見学者の方が二人おられただけで、意外なほど参加者のみのレッスンとは異なる効果が生まれたのを私は感じた。今後も制限をもうけながら随時、見学したい人がいれば受け入れようと思う。

いずれにせよ、うまくは言えないがわたしのレッスンは、その場に居合わせたヒトの情熱が渾然一体となって一期一会のレッスンが毎回行われ、参加者が間違いの喜劇の登場人物の台詞と格闘し、リーディングすることで、自ずとそのかたの唯一の個性が輝くようなレッスンを私はやりたいのである。

遊声塾をコロナで閉じて4年後、今またこのような形で新しいリーディング音読仲間、それもわたしの同年代の友人プラス、まったく見知らぬずっとずっと若い方々と共に、間違いの喜劇をまっさらな心持ちでリーディング再開できるとは、夏の夜の夢ではなく春の夜の夢ではあるまいか。だが、夢ではなく事実である。日本語によるシェイクスピア作品のリーディング音読の愉しさを新しい仲間と見つけたい。


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