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2024-03-10

母の命日、あの運命の夫婦の子供として、5人(姉、長兄、次兄、私、弟)の子供一人として授かった有り難さを想う。

今日は母の命日である。ようやっと最近父の面影と母の面影が同じくらいの感じで、両親への感謝の気持ちが、年々増してきている。あらゆることに気付きが遅い私である。

二人の子供をなんとか育て、古希を迎えることができ、いま3人の孫に恵まれ、あの両親の子供としてこの世に生誕したことのありがたさをつくづく思いしる。父がなくなった2月5日と今日3月10日は、私にとって特別の日である。

深くなっとく絶妙対談、人柄がにじむ。

自分がいつまで健康に五十鈴川だよりを打てるのか、いつまで音読できるのか、いつまで企画できるのか、いつ寿命、お迎えが来るのかはもちろん神のみぞ知る。がはっきりしていることは確実に父や母が亡くなった年齢に自分が近づいているのを深く意識しながら、一年でも長くあらゆることに前向きに生きる覚悟である。。

69才での大手術以後、生まれ変わったかのように節制し、家族はもちろんいろんな方のお陰で元気に生活できている。今はただひたすら足元を見つめ生きることのみを自分に課し、限られたこれからの人生時間を、きちんと大切に生きなければならないと、両親の面影(遺影を前にして)に誓い祈る私である。

年年歳歳、いまとなっては宝石のようなかけがえのない思い出が、辛い苦しい思いでも、楽しい思いでも、嬉しい思いでもまるごと全部が私の中で発酵して自分に都合のいいように甦り、思い出せるのはかくもありがたく嬉しいことである。4月から孫の望晃(のあ)が小学生になる。私の入学式、母は当時30代半ば私はキリリとした美しき姿を思い出す。

人間の脳は都合の悪いことは忘れ、よいことのみを思い出すと本で読んだ記憶があるのだが、当たり前だと思う。嫌なことばかりを記憶していたらとてもではないが、病にでも倒れ、人生途方にくれるしかない。この歳まで何はともあれ元気にこの茨の路を歩んでこれたのは、恐らくあの両親のもとに生を受けられたからこその、賜物である。鬼の父親、菩薩の母親。すれすれの絶妙バランス。つくづくその事だけは、きちんと五十鈴川だよりに繰り返し打っておかねばと思う。

さて、話は変わる。昨日五十鈴川だよりに打ったように、出会って28年I氏ご夫婦のスペインサンチャゴ巡礼旅の写真展とおおよそ1時間のトーク報告会に参加してきた。素晴らしい夫婦愛が香りたつかのようなお二人の人柄がにじみ出るトーク報告会だった。悩む力をバネに積み上げられたからこそ成し得た世界。彼らが撮った切り取った写真に彼らのお人柄が自ずと現れていた。参加してよかった。学べた。(その事をわずかであるが五十鈴川だよりに打っておく)

ほっこりという言葉を最近よく耳にするが、まさにほっこり感が会場に漂っていたのを私は随所で感じた。ほどよい参加人数。手のとどくさりげないおもてなし。カモミールティが冷えたからだにしみた。見知らぬ人から声をかけられたり答えたり。

彼らの一歩一歩がスペインサンチャゴの天と大地(雨の日があるからあれほどの天空の蒼さが際立つ)の風景の中にご夫婦が溶け込んで見つけた写真が素晴らしかった。ギリギリから逃げないヒトにのみ女神は舞い降りるのである。ヒトは何かを失い、何かを見つける生き物であるとの側をこそ私は生きたい。人間は間違い続け、学び続けるのである。

(ほとんどコメントのない五十鈴川だよりにI氏からの彼らしいコメントをいただいた)

五十鈴川だよりは、一行を打てば自然と水がしみてわいてくるように、流れ出すので自分でもどのような一文になるのかは全くわからない。キザではなく自分が書いているのではなく他力の風のお陰でなんとか丸12年も折々五十鈴川だよりが続いているのだ。今は亡き両親が、あの3日坊主の私のいまの姿をみたらなんというであろうか。両親の教え鍛練無くして、いまの私は存在しない。遅蒔きにしてようやく実感している。

(最後にいまアマゾンプライムで見つけた、いつでも君を待っている、という台湾の連続テレビドラマにはまっている。私の幼少期の源風景をいたく刺激する。その事もまた五十鈴川だよりに打ちたい)

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