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2024-03-24

3月23日、吉備路文学館での、第一回間違いの喜劇リーディング音読を無事終えた翌朝に想う。

 昨日3月23日は3年前初めての大きな手術をして退院した日で、奇しくも丸4年以上公的な場でのシェイクスピア作品のリーディング音読と同じ日であった。手術をした頃はコロナの真っ只中であったし、よもやまさか昨日のような場での、リーディング音読が実現するとは、当たり前だが実現するなどとは、想像だにできなかった。私のような性格の輩には感慨もひとしおであった。オーバーではなく私は復活できたのである。

かくありたいと想う、憧れる

N氏による企画に私がリーディング音読の講師として招かれるという形で実現したのだが、企画を持ちかけたのは私である。私の思いを汲んでフライヤーの作成から、多岐に及ぶあらゆる煩雑な裏方を努めてくださったからこそ実現したのである。ことあるごとに折々五十鈴川だよりには打っているので重複は避けたいのだが、氏との奇縁とも言うべき再会がなければ、と思うとき、ヒトはきちんと誰にたいしても接しておかなければならないという哲理を改めて噛み締める。この場を借りてN氏に感謝を伝える。

かなり体は疲れている、が、素直に第一会のリーディング音読が無事にすんだことを五十鈴川だよりにきちんと打っておく。午後一時から開始、参加者は女性が2名、男性が4名、見学者男性1名女性1名、N氏はマネージメント。講師の私含め計10名、吉備路文学館の2回のお部屋が理想的な感じで埋まり、それぞれほとんどが初対面、または私の友人3人(一人は82才の見学者)ともリーディング音読という形での新たな再会の時ということになり、午後4時25分ギリギリまでわずかな休憩をはさんで、充実したレッスンがやれたことを打っておく。

2時にはほぼ全員が、3時過ぎに最後の参加者がこられた。当日N氏の尽力で演劇をやられている女性が見学にこられたのだが、途中からリーディングに参加されたことも講師の私としては意外な展開、Yさんの急な参加が他の面々にも刺激をもたらした。3時過ぎこれまた演劇をやられているというEさんが加わり全員でのレッスンが実現、講師の私としてはうまい下手とかではなく、なんとも形容しがたい和みの初回リーディング音読を終えることができた。

5幕の最後の方で時間がなくなり、最後まではリーディングできなかったが、私としては、年齢もまちまちバランスのよいリーディングができたと自負している。何よりも参加者が必死で(私もまた)音読する姿に、改めて初心忘るるべからずという言葉を噛み締めた。

シェイクスピア作品【間違いの喜劇】の日本語によるリーディングすることの難しさ、楽しさを改めて痛感することになった。が、参加者に希望、手応えを私は持った。昨日のリーディングでシェイクスピア作品の豊穣さを改めて思い知った。発見、気付きがある間は音読レッスンがやれる。老若男女が登場するこの短い作品はシェイクスピアを初めてリーディングする参加者たちにとって、最適なテキストであることがよくわかった。

私が間違いの喜劇のイジーオンを演じたのが29才、あれから43年の歳月が流れたが、このような形で再び一期一会の形でリーディング音読ができるとは。有為転変、61才から再びシェイクスピア作品の数々をリーディングしてきたからこそのお導きというしかない。参加者の方々にはシェイクスピア作品のリーディング音読が苦しくとも楽しいのだということを、私が見つけたように見つけてほしい。

今日は午後神奈川から参加している、出会って46年になるK氏との個人レッスンが控えている。この事実にはオーバーではなく、戦慄的とも言える幸福感が私を包む。このような奇特というしかない友情が我が人生に持て、しかも現役バリバリで子供にかえったかのように遊べるなんて、夢のような出来事が実現したのである。

ヒトはなぜ生きるのか、シェイクスピアの珠玉の作品の数々には答えがない。その事が素晴らしいのだと私はこの年齢で思い知る。いかに生きたらいいのか、日々選択しながらヒトはいきる。道無き道をヒトは必死でいきる、しかない。その厳然たる真実を、この世で出会えた偶さかの命、間違いの喜劇の音読を通して本質的に出会いたい。


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