ページ

2024-01-13

N氏のおかげで、吉備路文学館で3月から行う間違いの喜劇のフライヤーができました、そして想う。

 N氏から間違いの喜劇の完成フライヤーがメールで送られてきたのは一昨日の夕方である。昨年末、氏から突然メールがあり、年明け早々一度会って打ち合わせをし、その後はメールのやり取りだけで、本当にあっという間に出来上がった。(氏はずっと私の事を心に留め発酵させていたのである)なんという事の展開、早さでの仕上がりに、驚きを禁じ得ない。

夕刻N氏から直接届いたフライヤー

個人的な話で恐縮だが、よもやまさか吉備路文学館でW・シェイクスピアの音読・リーディングレッスンがやれるとは思いもしなかったので、喜びは格別なのである。

私はせっかちを自認しているが、事好きなことに関しては、年と共に忍耐強くなってきた気がしている。61才、2013年から天神山文化プラザでシェイクスピア遊声塾を立ち上げ、コロナで閉塾を余儀なくされる2019年末まで、ひたすらシェイクスピア作品の音読リーディングにかなりの情熱を割いていた。(31才から30年間まったく音読はやっていなかった)

閉塾後の一昨年、昨年と企画者としての情熱が再燃、アクションを起こしたが、再びシェイクスピアの音読がやれるかどうかは自分のなかでもわからなかった。年齢的にもう十分にやった、やれたという思いもあったし、かなりの覚悟で集中して声を出すレッスンはもうやれないのでは、との思いがよぎったのも確かである。

そのようなときにN氏に出会い(正確には再会)、会話を重ね、中世夢が原での経験体験や40歳で岡山に移住するまでの、右往左往話をするなかで、私のシェイクスピア作品の音読リーディングに対する情熱が再び再燃したのだ。

遊声塾の時とは異なる、多世代老若男女での、あまりにも豊かな言葉の魔術師W・シェイクスピア作品のいくつかを、私がこれまで音読テキストにしていた小田島雄志訳ではなく、女性で初めてシェイクスピア全作品の翻訳という偉業を成し遂げた、松岡和子先生の翻訳で声だしリーディングをやりたくなったのである。

長くなるので(五十鈴川だよりに書いている)はしょるが、2年前の夏の終わり、東京下北沢の本多劇場で、私は松岡和子先生に偶然ロビーでお会いしたのである。縁の不思議さに背中を押され、俄になぜだか、ものすごく先生の翻訳でシェイクスピア作品のリーディングを一からやりたくなったのだ。その昔、先生がまだ大学で教鞭をとられていて、私がシェイクスピア・シアターに在籍していた頃、何度もロビーや客席にいらした若き日の先生のお姿を私は記憶している。

あれから40年以上の歳月が流れたが、一方的に何かの啓示的お告げのような感覚にとらわれたのである。年齢を忘れ、声が出るうちにマッさらな気持ちで、新しい先生の翻訳でのリーディングに挑戦したくなったのである。その思いを私はN氏につたえた。氏は冷静に受け止め、氏が福武文化振興財団の助成を受けている事業の一環として取り組んでくださり、場所も願ってもない吉備路文学館を押さえてくださったのである。

私のような来歴の、一人のシェイクスピア好きが、岡山の吉備路文学館の空間で、【間違いの喜劇】のリーディングがやれるとは、初夢にしても身をつまされる思いである。

この数日時間を決め、2016年以来、久しぶりに松岡和子先生の訳で間違いの喜劇の音読リーディングを3月に向けて私自身のレッスンを始めている。老いゆくからだが喜んでいる。今年の5月までは間違いの喜劇の音読を中心に時が流れてゆくようになるだろう。どのような老若男女に出会えるのか、レッスンは顔ぶれ次第だが、その前にやるべき事、やっておかねばならないことを、2月末まで十分に準備しなければならない。(のだ)

集ってくださったかたたちの、幸福オキシトシンが溢れるようなレッスンをやりたい。そのためには私自身が入念に準備しておかねばならない。リア王が娘末コーディーリアに語りかける、何もないところになにも出てきはせぬという言葉が響く。こればかりは言霊が顕れるように老いを暫し忘れ反復音読するしかない。【愛こそ、そして今こそがすべてである】

間違いの喜劇は、松岡和子先生が37本のシェイクスピア作品の中で、一番最初に翻訳された作品である。私の一番好き作品であり、シェイクスピア・シアターで初めての大役イジーオンを演じた思いで深い作品である。


0 件のコメント:

コメントを投稿