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2024-02-26

義理の父の命日、稲城長女のマンションで打つ五十鈴川だより。

 昨日から稲城の長女のところに移動した。昨日とうって変わって素晴らしい冬晴れのお天気で、長女のマンションには強烈な冬の日差しが差し込み、とても暖かい。

先程今年から小学校にはいる望晃くんを保育園まで送って行き、レイさんはお仕事、長女は未彩がお休みしている合間に離乳食を作ったりしている間、私は昨日と同じように寸暇五十鈴川だよりというわけである。

望晃(のあ)君の作品

私の家族だけではなく、どこの家庭であろうと、子育てしながら仕事を続けているのは、大変である。娘はいま育休中である。おじじの私としては、わずかな滞在であれ二つの家族のおじじとして、お役に立てることを最優先にやりながら、記録という意味も含めて、孫たちの成長を定期的に見守りながら、五十鈴川だよりに記しておきたい。

と、ここまで打っていると、未彩が起きてきた。長女とこれから赤ちゃんサロンにお出掛けするとのこと。

お眠りがたりたのかご機嫌である。見送って再び画面に戻っていると、見送ったばかりの長女から電話があり、先程作っていた離乳食を冷凍室に入れておいてほしいとのこと。はいはいとお返事して、またもや画面に戻る。

お昼までのわずかな時間ではあれ、一人で家主のいないマンションで過ごすのも妙な気分ではあるが、東京郊外稲城のさと山が望めるこのマンションは、田舎育ちの私にはありがたい。

とりとめなき、思い付き五十鈴川だよりだが、何気ない日々の生活のひとこまを、ピンで止めるように一行でも打っておけば、やがてはつもりに積もっての生活記録として思い出してもらえるかもしれない、何て事を思うとき、おじじとしてのささやかな自己肯定感に浸れる。

西大寺での老い人生活からつかの間抜け出して、東京娘たち家族と定期的に再会時間を持つことは、限りなく大切なことであるとの思いは、孫が増えたことで、いちだんとおじじとしての役割をきちんと生き抜かなくてはいかんという、責任感が深まる。孫たちからいただくオーラ、エールはやはり半端ない。時おり上京しないとやはりまずいと痛感する。

だからといって、特段ことさらなことはやれもしないのだが、老夫婦二人が健康で穏やかに存在している、その事だけでも娘たちにとってはありがたいと云ってくれるので、その言葉を鵜呑みして、要らぬ心配をできるだけかけたくはないので、これまで以上に普通につましく、粛々と生活するだけなのだが。人生一寸先は本当に未知である。だからこそ、いまをこそ、普通に丁寧に生きたい。ただそれだけである。

ところで話は、突然変わるが、娘たちのマンションには小さなライブラリーがあり、そこにゆくと普段私が手にしないような分野の本がセレクトされていて、無知蒙昧の私のささやかな好奇心をいたく刺激してくれるので、来る度にそのライブラリーを覗くのが楽しみである。

私は年を重ねるにしたがって、学びたいという意欲の発露は若いときよりも十分に時間があるせいか、とくにこの4年歩みは超とろいのではあるけれど、学ぶ楽しみが以前にもまして広がっている。そこに老いつつも私の希望が広がっている。

以前だったら手にしなかったような本も、孫たちから刺激を受けて読むようになってきた。今日も午後望晃君と多摩にあるとある昆虫館にゆく予定なのだが、私がが活性化するのには、私の場合孫たちの存在がいまや不可欠である。こればかりは神から授けていただいた、賜物という以外に言葉がない。日々歳歳ヒトは生まれ変わる。数年前には存在していなかった存在と出会うことで、老人もまた新しき日々を生きるのである。

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