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2024-02-27

長女のところで2日連続五十鈴川だよりをうち、これから岡山に帰る朝に想う。

 東京二組の家族、次女のところに3泊、長女のところに2泊、今日お昼には東京をたち岡山に帰る。いま保育園に望晃くんを送って戻ってきて、寸暇五十鈴川だよりタイム。未彩は休んでいる。レイさんはお仕事に出掛け、長女は家事をこなしている。

ノア君が生まれたときにレイさんが植えたレモンの木

昨日と同じような外の空気は冷たいけれど、冬晴れの晴天で、ベランダからの差し込む光のお陰で、とても静か心地がいいので、ちょっとの時間であれ、五十鈴川だよりを打つ。

昨日午後、保育園に、4月から小学生になるノアくんを迎えに行き、そのまま多摩動物公園の中にある昆虫館に行き、昆虫大好き望晃くんと夕方まですごし、この二日間保育園のお迎えも含め、二人で密に過ごしたので、ちょっと望晃くんとのつかの間のお別れが、私には辛かったのだが、これもまた致し方ないことと受け止めながら、気持ちを落ち着かせ岡山へ帰るためにために、五十鈴川だよりを打っている。

昨日打ったばかりで、取り立てて打つこともないのだが、記録としてのおじじの思いがわずかではあれ五十鈴川だよりを打たせるのだ。昨日の夜は、出会って35年は優にたつであろう、貴重な女性の友人M子さんがわざわざ、稲城まで私に会いに来てくださり、旧交を暖め約一時間半、ちょっと軽くお酒をいただいた。滅多に会えない大切な昔を、青春時代を懐かしく共有し語り合える友人は本当に貴重であり、ありがたかった。あっという間に時は過ぎ、駅でお別れしたが、丸い月が冬空に浮かんでいた。

Mさんはご高齢のお母上を、昨年夏ご自宅で見送られた事を、さりげなく伝えてくれたが、つまびらかには知り得ないことだが、彼女の性格の素晴らしさ、母上に対する思いがさりげなく伝わってきて、改めてよき異性の長年にわたる友に巡り会えたことの幸運と感謝を、五十鈴川だよりに打たずにはいられない。

年年歳歳ヒトは歳を重ね、かって経験したことがない激動時代の中で、心は千路に乱れざるを得ないような世相の最中にあって、このような極めて地味な偶さかの再会が叶うのは、オーバーではなく、奇跡的なことだと思うから、余計に五十鈴川だよりに綴りたいのだ。

孫の手をとり歩きながらしみじみ思う。このような幸福感をいただけることのありがたさを。これ以上の喜びは、きっともうたぶん私には必要ない気に教われるほどだ。昨日も打ったがお役にたてるおじじとしてのつとめを、粛々と勤められることこそが、我が喜びなのである。

その延長で、疑似家族的な長年のお付き合いの友人知人との一期一会的な時間を大切に生きたいとの思いはますます深まる。孫たちはぐんぐん成長する。私の人生時間は短くなる。だがその事を厳粛に受け止め、今日一日をいかにいきればいいのかを、孫たちが教えてくれるような気がしている。

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