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2018-08-16

8月16日の朝に思う。(星野さんの御本を読み、極北の暮らしを想像する)

昨日あたりから、帰省Uターンラッシュがピークらしい、だが、事自分のことに関しては全く世の中の流れとは無縁で、特にこの夏を図書館で過ごしている。

この夏ほど、図書館で過ごしたのは初めてではないかと思えるほどに図書館で午後の時間を過ごした。(リアが延期になったので、どこにも行く気がしないのである)

一番の決め手は、やはり涼しいことと、静かなことである。ゆったりとした空間で落ち着いて本が読めるなんてことは、今年の夏は特にありがたき贅沢を感じる。

外出したら、じっとしているだけでも、汗が噴き出るのに、移動しながら人混みの渦に巻き込まれたりするのは、もうこの歳になるとはなはだご免である。

考えてみると、50代くらいまでは、本当によく動いていたが、60代に入ってからというもの、億劫になってきた。体と共に心も変わる。早い話、これが老化現象なのだと受けとめている。
今年の夏は星野道夫さんに再会できた、本当にうれしい。

腰が重くなり、以前だったら気軽に(居酒屋さんなんかにまるで出掛けなくなった)出かけたりしたことに、とんと興趣が持てなくなり、身の回りの手が届く範囲での、まあ、新しい興趣とでもいったことに、関心が移りつつある。

これからの人生時間、できるだけこれまでやってきたことには別れを告げ、静かに我が身を振り返りつつ、これからを前向きに生きたいのである。内省ライフの始まりである。

昨日も書いたが、可能な限りできるだけ自分のことは、自分で始末する。やってみようという、身辺こまごまライフにうつつを抜かす喜びを見つける暮らしにシフトしたいのだ。

その中で意識的にしているのが料理、ほとんど似たような料理にあれやこれやの工夫を凝らすだけの、簡単料理ではあるが、これが慣れるにしたがって手際もよくなり、結構段取り頭も使うので なかなかよろしい。(今日のお昼は、ゴーヤ中心の野菜ラーメンの予定)

最後の後片付けまで、きちんと済ませると気分もとてもいい。18日のリアが終わるまでは、とにもかくにも、毎日の生活雑事を楽しみ、絶対矛盾をいつも我が身に抱えながら、朝夕、リアの言葉を反芻し、こうやって五十鈴川だよりを書きながら、穏やかに生きられる今を噛みしめている。







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