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2022-09-03

8月26日、加藤健一さんのスカラムーシュを観に行って、翻訳者の松岡和子先生に偶然お会いしました、そして想う。

 上京旅から戻って3日が過ぎたが、今回の旅でのこの年齢ならではの実りの多さを、改めて反芻している。上京の目的の一番は、やはり孫たちの成長をこの目でじかに感じたいということであった。その事に関しては、十分過ぎるほどに天然の美を、老いの身でしか感じ得ない喜びをいただいた。我が身の現在のささやかな幸せを綴ることに関しては、やぶさかではないのだが、能天気なせつぶんを打つことは控えたい。ただ一言だけ打ちたいのは、二人の娘家族が、新しい命と共に、懸命に生活している様子に、未来の希望のようなもの、私たちの世代とは異なるライフスタイルを、築きつつあることに打たれたことだけは、野暮を承知で打っておきたい。

松岡和子先生の翻訳

さて、今朝の五十鈴川だよりでは、45年ぶりくらいに、加藤健一さんの一人芝居を観に行った際の出来事を、ちょっと打っておきたい。8月10日の新聞でスカラムーシュ・ジョーンズという道化役者の100年に渡る激動の生涯を、一人芝居で語る記事を読んだ。20代の頃、つかこうへいさんの芝居に出ていた加藤健一さんを何回か私はみている。そして何よりも加藤健一という名前を、決定的に印象づけたのは【審判】という重いテーマの2時間近いモノローグ芝居を、その後何年にもわたって、繰り返し上演し続けてきたという稀な俳優であるからだ。

私はその審判の初演をみている。場所はどこだったか記憶にない。江守徹さんも審判に挑んでいる。この舞台は文学座のアトリエで観た。話は止めどなくなるのではしょるが、31才で富良野塾に参加し、卒塾後家庭を持ち演劇の世界から身を引き、40才で岡山に移住してからは、企画の仕事に没頭し舞台をみることはほとんどなかったのだが、何故か今回の加藤健一さんの舞台は、タイミングの巡り合わせのようなものを一方的に感じ、駆けつけたのである。加藤さんは、私より二つ年上だが、ほぼ同世代である。その事はやはり大きい。

思い付いて出掛けたスカラムーシュ・ジョーンズの一人芝居、娼婦の子供としてトリニダードトバゴに生まれ、父親が誰だかわからない、数奇極まる人生を薄氷を踏むかのように生き延び、50才で白い肌の幻に導かれるように、ロンドンにたどり着く。そこで道化師になる。それから50年の道化師人生の最後の日に、ロンドンにたどり着くまでを、一人語る芝居なのである。(道化師になってからの人生は省かれている)

スカラムーシュと加藤健一さんの人生がまるで交錯するかのように、思い込みの強い私には感じられ、徐々に加藤健一さんの語りの世界に引き込まれ、最後深く打たれ感動し、思いついて駆けつけた喜びに浸った。まったくと言っていいほどに加藤健一さんの声は変わっていなかった。ながくなるが、もう少し打つ。芝居がはね、ロビーに出ると思わぬ方と出会った。この芝居を翻訳された松岡和子さんが歩いている姿が目に飛び込んできたのである。18日から28日までの上演期間、たまたま26日金曜日松岡和子さんもこられていたからこそ、願いが叶った。

松岡和子さんは、先年、日本で初めて女性でシェイクスピア全作品を翻訳された方である。私は20代の終わりの4年間、シェイクスピアシアターに在籍していた、向こうは知らなくても、こちらは何度もそのお姿を、劇場で拝見していたので、すぐにわかった。失礼をかえりみず一方的に話しかけたのである。

先生(と呼ばせていただく)は機転全開で対応してくださり名刺をくださった。岡山から観に来た胸を伝えると、奇縁、なんと先生のお父さんは岡山の児島のご出身とのことで、またもや驚いてしまった。そして、先生は岡山で会いましょうとまでといってくださった、のである。

一期一会という言葉がこんなにもしみたことは初めてである。偶然と必然のお導きのなせる恩恵に、芝居の余韻共々私は今もどこかしら浸りたい自分がいる。思い付けることのなんというありがたさ、アクターとはアクションをやめない人のことであると、今更ながらに想い知った。松岡和子訳のシェイクスピア全作品を私は音読したくなっている。


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