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2022-05-06

五十鈴川だより11年目、はじめてふるさとで五十鈴川だよりを打つ。

 3日の夜から門川、ふるさとに帰っている。生まれた町の五十鈴川だよりが流れている。五十鈴川だよりを書いてまる十年たち、11年目にはいっているが、ふるさとで打つ初めての五十鈴川だよりである。

我が心の五十鈴川

ふるさとの山に向かいて言うことなし、ふるさとの山はありがたきかなで。昨日は姉兄と共に、ふるさとの私の好きな五十鈴川上流の原風景の残るエリアを、70歳代トリオで一日ドライブに費やし、もうなかなかにはできない思い出の日帰りトリップができた。

今日は朝から雨で静かに兄の家や、姉の家ですごし、一人午後からあめにけむる門川の海を散策、いま日向のマクドナルドで五十鈴川だよりを打っていると言うわけである。家以外で打つはじめての五十鈴川だより。何やら勝手が違うが、気のいい地元の若者が、てきぱきとWi-Fiを接続してくれたから、打てているのである。

取り立ててなにも打つことはないのだが、ただただふるさとのありがたさを感じているその事が打てればいいのである。チャリティ演奏会に忙殺していて疲れていた、古希の体をふるさとの海山川、そして老いたら姉や兄たちが、愚弟の帰りを暖かく迎えてくれている、そのことのありがたさが。

【なにゆえに・ふるさと恋し五十鈴川・訳もわからず訪ねゆく我】といったところか。理屈はいらないのである。ヒトは生まれたところの空気を一生忘れないのである。その点は全く鮭と変わらない、私である。

ところで、このような幸福感の灯る帰省旅は今後はますますできなくなるであろうが、今回はできたことの幸福をしっかりと打っておきたいのだ。やがてできなくなったときに、あのときの思い出がきっと夢幻のように思えたとしても、もう私はきっと後悔はしないだろう。

そのようなことを思いつつ打つ、今日のふるさと五十鈴川だよりである。今朝朝一番五十鈴川を眺めにいったのだが、わたしが小学生で泳ぎを覚えた五十鈴川はほとんど姿を変えずに流れていた。思わず私は静かに手を会わせなにかに祈った。

あまりの世界の大変さと、あまりの穏やかな静けさ、その対象性のあまりの理不尽的不条理に思いを馳せ、祈るより他になにも思いが浮かばなかった。やがては宇宙の法則が人類の行く末を決定する他はないのかもしれない。私にできることは祈ることくらいである。


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