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2022-05-03

次女家族が日帰りで帰ってくる朝にお想う。

 今日は昨年7月に生まれた孫を伴って、次女家族が帰ってくる。ウクライナでの戦争勃発から、暫し頭がチャリティ演奏会で一杯だったのだが、それも無事終えることができ、残務処理もほぼ目処がたち、なにかスッキリとしたタイミングで、日帰りとはいえ嬉しい私である。

次女の旦那さんの実家は御隣の県の宝塚なので、わざわざ生後9ヶ月を過ぎた葉君の成長した姿をお披露目に来てくれるのである。二人の孫に恵まれ、二人の義理の息子に恵まれ、古希を過ぎたので、もうこれからは臆面もなく何でも書きたいのだが、そのようなことを打つのは、今だどこか野暮で恥ずかしいと言う感覚が私にはある。

世の中に出て不安定な人生を34才まで生きてきた私なので、よもやまさか二人の娘に恵まれ、親子4人での家族時間を体験し、今またこのような不確実した時代の最中、二人の孫に恵まれて、穏やかに日々の生活が遅れていることに、言い様のない平凡なありがたさを想うのである。

命の健康在っての、家族のありがたさである。そのことの深まりの実感は、やはりこれからも繰り返し打つだろうが、手術から生還し、再び身も心も健康を取り戻せたからだろう。決して忘れてはいけない、生きてゆく上での肝心な事を古希目前の手術で学べた幸運は、きっとこれからの未来時間を照らしてくれると確信する。

二人の孫の存在がなかったら、ウクライナの今も続く異常事態に、こんなにも熱く反応することはなかったかもしれない。平凡な一初老男の私だが、孫の存在は未来の人類の持続維持の平和の有り様をいやでも考えさせずにはおかない。お陰さまで古希を迎えることができた私は、孫たちの未来社会が明るく穏やかで平和であってほしいとの、平凡極まる願いしかないのである。

妻が育てたうららと言うバラ

そのために、何ができるのかを考え続けながら、企画をしたり、音読したりしたいのである。若いときに相当無理していろんな異なる国々を訪ね、私は私なりに学んで来たのだが、暮らしている人たちの笑顔が美しい国に私はすみたいと想うし、お年寄りや子供を大切にする国であったほしいのである。

果たしてそのような国に日本が向かっているのか、はなはだ心許ない。暗い、とんでもない私の常識とは相容れない、想像を絶する事件が頻発する世相ではあるが、せめて手のとどく範囲、近しい方々との穏やか時間をこそ私は大事に生きて行きたい。物質的な豊かさではなく、愛情の豊かさが満ち足りる暮らしをこそ大切にしたい。まずは家族の行く末を幾ばくかでも見守れるようなお祖父さんになりたいし、余力があれば企画を発心したいと想う私である。

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