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2022-05-28

五十鈴川だよりを打つことなくして企画は生まれない、五月晴れの朝に想う。

 五日も打っていないとずいぶん打っていない気がするが、私のなかでは五十鈴川だよりを打っている日も、打っていない日も同じ一日を生きているのには何ら代わりはない。ただ私ごとき拙ブログ(たまに最近読み返すのだが変換ミスが多い、ごめんなさい各自で補ってくださいね)を読んでくださっておられる方々には、申し訳ないとはどこかでかすかに思っている。

だが、誤解されてもいいのだが、五十鈴川だよりは、まずは自分の記録雑記的、わがままあるがまま、その日その日の体調気分、風まかせブログなので、その点は平にご容赦願うしかない。ただ打たない日はそれなりに充実して生活しているのだというふうに、理解していただくと嬉しい。

毎日のように打つ日も、打たない日も、それが私の五十鈴川だよりなのであるから。昨年手術したときには一月以上打てなかったし、(打てるわけがない)それが自然の流れなのであるから、仕方がないのだ。打ちたくなったらうち、打てないときは打たない、けせらせらーなのである。

だが毎度同じ念仏を唱えるかのような五十鈴川だよりではあれ、老いをみつめ命の輝きのようなものが、もしも我がうちなるからだに何も感じなくなったら、そのときは静かに打つのをやめるだろうが、あにはからんや我が体は未だどこかおき火が燃えているといった塩梅で静かに生活しながらこれからの暑い季節をなんとか乗りきり、いま学べることに一日の限られた時間を大事に生きているのだ。(ご安心あれ)

さて話を変える。今年の5月15日は沖縄が本土に復帰して50年ということで、新聞でしか読んでいないのだが、一人の日本人としてやはりどこか忸怩たるおもいにとらわれてしまった。この忸怩たる思いにとらわれるのはなぜかということについて、ちょっとだけ打つと、平均的な良識をお持ちの方ならお分かりの通り、あの狭い国土のなかに、日本を防御するという名目の米軍基地の7割が存在するというあまりの理不尽さに尽きる。

克明に新聞を読む学ぶ姿勢が企画を生む

沖縄は日本であるのに、その事の理不尽な琉球の歴史や現在の沖縄のおかれているいまも続く苦難の現代史に自分があまりに無関心であり、深く知ろうとしなかったことについて、この年になって、深く恥じ入る自分がいるのである。そしてそのことはこと沖縄だけに限らず世界各地で起きているあまりの理不尽さにも、結果的に通低しているのである。

在野の中期高齢者の(もう年齢は忘れる)一人の企画者として、先日ウクライナの一人の音楽家を企画して改めて思ったこと、教えられたことは、自分にやれることを信じて企画することの(謙虚に)大事さである。声なき数多の民衆の無念の思いに耳を済ませ、その声を伝えられる沖縄の言葉で言えば、唄(歌・詩)者や舞い踊る芸能者に出会いたい、のだ。

そのためには、学び動き考えるしかないのだ。私のような無学な企画者にできることがあるとすれば、自分の沸き上がる情熱の発露を信じて企画することぐらいしかできないのだ。五十鈴川だよりを打つことは考えること、これができないと企画は生まれない。

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