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2019-04-25

時折ぽっかり空いた時間、【池田晶子不滅の哲学 若松英輔著】を4章まで読み、おもう。

スリランカかのテロ他、あらゆる事故、事件等に関する報道や、日々刻々流される多様なメディアに関して、五十鈴川だよりで触れるのは、なんとも歳と共に気持ちが動かなくなってきた。

が、個人的には可能な範囲で、世界の動きや、世の中の推移、時代の空気感には、耳を澄ませたいという気持ちは、いまだ持ち合わせている。

だから 、近い将来短くてもいいから、動けるうちに、久しぶりに海外の風に当たりたいと思い始めている。あまりにも初老生活ばかりに耽溺してしまうと、ちょっとあまりにもまずいのでは、との懐疑の念が、絶対矛盾的にわが内なる何かが求めるのである。

自分とは何かという、根本問題は置いといて、自分を異国に運びどこか遠くから(至難のことながら)、自分はどこから来て、どこに向かってゆくのかという永遠の命題を、懐疑的に思考する時間を持たないと、まずいのではないかとの思いが、身体の隅でうごめくのである。

ところで、以前に比したら驚くくらいに、家での一人の 時間が増え、それが苦にならなくい。疲れたら近所を散歩して、また一人の時間を過ごす。

まったくこのような生活が我が身に起こるとは、、、。最近寄る年波か、いい意味でライフスタイルがシンプルになり、より真面目に物事に向かい合うようになってきた気がする。(このようなことを書くのは気恥ずかしいが)

読む本も、ずいぶんと真面目なものを手にするようになってきた。昔だったら難解で、ずぼらな私の性格では到底読むことがかなわなかったような本を読むことが増えてきた。
この本を読めばシェイクスピアのコトバにより深く寄り添える

池田晶子さんの本もそうだ。わが本棚に 何冊か彼女の本があるのだが、その彼女のことに関しての評論、【池田晶子 不滅の哲学 若松英輔・著】という本を今読んでいる。

ささやかに本を読み続けてきて、今ようやくにして このような本がしみてくるように読める。全11章の4章を読み終えたところだが、池田さんと石牟礼道子さんに共通するものに、若松英輔氏が触れている個所があって、驚いた。

すぐれた本は、未知の奥深い目に見えない世界を、コトバで可視化する。見るということについての、すぐれた考察が、先人たちのコトバによる深い洞察、思索がひも解いて語られ、文字で書かれる 。

ぐいぐい引き込まれる。言葉に出会い、コトバの奥深さに蒙が開かれる。読書する行為とは、いかなることなのか、が提示される。

GWの後半、数日ふるさとに帰省する。がらにそぐわないことは承知しながら、本を友に、初老思索、叡智の 時間を過ごしたい。



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