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2019-04-06

平成の最後、五木寛之氏の新刊【作家のお仕事】を読み思う。

四月になって初めての五十鈴川だよりである。新年号が公になり、一郎選手が引退し、プロ野球が始まり、日本列島が桜列島と化し、メディアはとにもかくにも目新しい話題の映像垂れ流し、オンパレードである、が小生はそのような時代の片隅で、静かに春の到来をありがたく噛みしめ、浮世をそっと楽しんでいるといった風情である。

今日はお日柄もいいし、お昼を妻と母と3人で近所で 花見がてらする予定である。春の桜は、日本人の私の心をやはりどこか狂わせるに十分である。長い冬が去り、万物に穏やかな陽光が降り注ぎ、一気に森羅万象が噴き出すように精気を発するこの季節のダイナミックさは、たとえようもない。

ただただ、愛でその恩恵に感謝し甘受するだけである。さて、平成が去り令和の時代がやってくるが、元号が変わったくらいでは、今この現代に生きる様々な、困難、山積したあらゆる社会的な諸問題が、解決するなどは、つゆほども思えないが、束の間、春は万民に平和なお花見の一時を、あの世の昔から与えてくれる。

そのような日本列島に生まれしわが体の喜び、身体の底深くに 息づいている感覚に辛き浮世を忘れしばし酔うことにする。

私は故郷の北方の今は亡き、槇峰銅山があった美々地小学校に、父親の転勤で6年生の春移住、一年間だけいたことがあるのだが、その時住んだ地区が桜ヶ丘というところで、名前の通り桜一色だった。(いつの日にかこの時のおもいでは、きちんと書き残したい)

はじめて訪れた山間の春の炭鉱町は鮮烈な一年間の四季の記憶と共に、まだ時折私の心を鮮烈に揺さぶる。思春期の入口の少年期のおもいでは、桜ヶ丘と共に今も折によみがえる。今となっては、甘美な初老男のノスタルジー を彩る。記憶は美化される、でないと切なくやりきれない。やがて閉山と共に、交友たちはその後全国に散っていった。まるで桜の花のように。

話題を変える。平成の最後に差し掛かり、先日五木寛之氏の【作家のお仕事】 という最新刊の本を一気に読み終えた。

低い目線で物事を眺め考える
これまでにも何回か書いているが、氏は私より20歳年上、1932年のお生まれである。私は思春期から、氏のエッセイをよく読んできた。とくに高校を卒業してから、演劇の 勉強をしながらの、貧しい下宿生活の中で読んだ【風に吹かれて】や、【ゴキブリの歌】は繰り返しよく読んだ。

私が26歳で、英国自費留学から帰るとき、シベリア鉄道で帰ってきたのは氏の影響による。

ところで、作家のお仕事
と銘打たれたこの本は、氏にしかなしえぬ多岐にわたる取り組みが、半世紀にわたる氏の作家人生のエッセンスが、ぎっしりとコンパクトに詰まっている。

直木賞を受賞された後、歩んでこられた、姿勢、取組み、信条、矜持、思想がぶれることなく今現在も続いていることが、つづられている。

氏は、今もタブロイド版の夕刊現代に【流されゆく日々】という連載を40年にわたって連載している。驚異的というほかない。

高校3年生の時、直木賞受賞作家の五木寛之氏の講演会を日向市で聴いた記憶が鮮烈である。カッコよかった。あれからおおよそ半世紀。氏は今もカッコイイ。

九州男児の大先輩、少年期の過酷というしかない引揚体験、引き上げ後の極貧生活、大学に入学はしたものの引き続いての極貧生活、社会の底辺をはいずり回りながら、絶望を生き抜いてゆくしたたかさ。そして、五木寛之という作家が誕生する。時代が作家を生み、作家は移ろいゆく時代を見据える。

40代にはいり休筆、大学に入り仏教を勉強される。壮絶というしかない中で、人間を今も見つめ続けるその好奇心の考える葦の強靭さ、敬服のほかはない。あくまで深刻さの中にあっても、どこかかろやかである。

大先輩にどこかあやかり学びながら、令和の時代を底辺から眺めてゆきたく思う私である。


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