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2019-03-31

次女の婚約昼食会を終えて、ささやかに想う。

朝がきて、今日で3月も終わり、五十鈴川だよりを書いているわが二階の部屋からは、うら寂しい春の風の音が今も時折聞こえているが、東の空からはあさのひかりがまぶしく我が家の屋根を照らしている。

さて、昨日岡山のとあるホテルで、両家の婚約昼食会が、終始穏やかな雰囲気の中で進み、滞りなく済んだ。始まった時には降っていた雨も終えるころには上がって、桜も咲き始めて二人を祝福しているかのようだった 。

妻はさみし気で、うれし気で、安堵の表情をしていたが、きっと向こうのお母さんも、どこか母親にしか感知しえない(千差万別の)共通のおもいを体感されていたのだと思えた。

昨日も書いたが、その点は男親というものは、どこか所在が薄く頼りなげにその場に居合わせるといった体だが、やはり厳かなけじめというか、儀式というものの、長きにわたって続いて(時代の表面的な事がらがいくら変わろうと)きたことの重みを感じた。
周さんがプレゼントしてくれた手作りお湯のみ(彼はクリエーターである)

何より、二人が嬉しそうにしていたこと、そして双方の親に対しての配慮が、きちんとできる男性を娘が選んだことに対して、私としてはひたすら安堵しうれしかった。安心した。

さて、儀式を終えいったん家に戻りしばらく休んだのち、母と妻娘私の4人で夕方から市内の温泉に行き、しばしの3世代、くつろぎ時間を過ごし、夕飯は娘の提案で岡山駅の近くのいい感じのお蕎麦屋さんで済ませた。

次女のことを、自分の娘のように接し育ててきたという自覚の深い母は、昼間の昼食会の話を聞きながら、ことのほかご満悦で、めったにきたこともない本格的なお蕎麦屋さんのおそばを、おいしいおいしいと食し、私が注いだビールを一気に笑顔で飲み干した。

このようなあわただしき世相の中、スマホも何もしない母ではあるが、肝心なことだけは今もきちんとすべて一人でこなしているのが、我が家の一番のつつましき穏やかな安定感に寄与している。

つくづく思うことだが、健康であるからこその他者への思いやりが可能なのである。若き二人には何はともあれ、健康に日々を過ごしてほしい。

そして思うことだが、親としての一つ役割を終えたのではあるが、老いゆく中での家族の行く末を、ほんのちょっとでも見守りたく、母のような存在力をキープしてゆくための生き方を模索したく考える殊勝な私である。


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