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2019-03-30

両家での婚約昼食会の日の朝に想う。

3月30日、今日は我が家にとってめでたい日である。昨日次女が東京から戻り、今日お昼婚約昼食会が、ささやかに両家で開かれる。

今夏の北海道での挙式をもって、親としての務めをほぼ何とか終えることになりそうである。私みたいな不安定な生き方を選択したものが、妻との出会いでごく普通の暮らしを得た中で、二人の娘が育ち、次女も新たな門出を迎える。

ふつつかな親としては、名状しがたい気分になるのも、いささか仕方なしである。親は無くとも子は育つというが、妻と異なり男親の私はほとんど何もしてないのに、娘たちはきちんと成長してくれていたことに、ただただ安堵するばかりである。

この10数年家族の崩壊や、家庭の多様な子育て環境の問題、 学校でのいじめ、引きこもりほか等々が、ニュースにならない日はないといっても過言ではない。

時代の先行きは全く持って、予断を許さないような世相の中、次女なりに人生の同伴者を見つけて、この数年静かに交際してきたことを、私も妻も知っている。

娘の選んだ男性に初めて会った時のあいさつの印象を私ははっきりと覚えている。ともあれ、交際の結果を私も妻も母も心から喜んでいる。

いよいよ、これから大変な時代の渦中を生きてゆかねばならないが、 目線を低くして、小事を大事にして、二人して健康に力を合わせれば、とただ願うばかりである。

見知らぬ者同士が、出逢って結ばれる。この歳になってようやく、夫婦という感情が 以前にも増してきたことを時折実感する。

妻を見ていると、無償の愛、母という存在の大きさを垣間見る。男親の私には理解するのが及ばぬ、といった体である。

娘たちのおかげで、私に二人の息子が忽然とできた。そのことが私にはまた喜びである。神聖な儀式を通じて肉親となる。男同士で酒が飲めたり、次女のパートナーとはコーヒーを飲みながら、話ができる。

ともあれ、環境の異なる中で育ったもの同士が、長きにわたって同じ船に乗り続けるのは難しいが、荒波を乗り越えた後には二人にしか感知しえない何かが残るものと信ずる。幸を祈念するのみである。

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