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2019-04-10

ロミオとジュリエット二幕まで書き写した朝に想う。

雨である、したがって午前中が自由に使える。何事も加減、今日は夜レッスンがあるのでよく休んで万全の体調で望める。

さて、五十鈴川だよりを書くのも控えて(というとオーバーだが)、ロミオとジュリエットの筆写に時間を見つけては勤しんでいたら、先ほど二幕までが終わってしまった。

2ヶ月くらいをめどに考えていたのだが、このペースではGWに入るまで迄には済みそうな按配である。読み書きというが、現代人である私は本当に文字を書かなくなって久しい。

写経をする方も多い、私はシェイクスピア作品を書き写すということが、新たな愉しみの一つになるやもしれぬというくらいに、今のとこいい感じでやれている。

今の時代の空気感の中で、このようなことに情熱を注いでいる自分が何やら可笑しくもあるが、ロミオとジュリエットの発表会を終えるまでは、意識の集中度を高めてゆくための、たまたま思いついた一つの方法にすがりたい。

要はどのようにロミオとジュリエットという、自分にとっては大きな山に塾生と共によじ登ってゆくのか。私の場合はせっかちをいさめるためには、ゆっくりと書き写しながら声に出し、書き終えたあとは、繰り返し登場人物の声を出し、自分の体になじませてゆく(ほかにこれといった方法がない)。

修養というといまどき、言葉がアナクロ的な響きを持つが 、私にとっては久しく忘れていた、新しい感覚が蘇ってくるかのような感じで、書いていると実に気持ちが穏やかになってくるのである。

それに、読んでいるのとはまた違った感覚が、研ぎ澄まされてきて、言葉が体の中で何度もリフレインし、まるで初めて読んでいるかのような新鮮な感覚に襲われたりして、ゆっくりと書きながら遅々と読み進むことの大事を、思い知らされるのである。

ゆっくりゆく者は、遠くまでゆくとの言にすがって、何はともあれ全幕書き写したい。 論より証拠、何かをしていたらほかのことはできない。自分にとっての大事な時間を、まるで引きこもるかのように初老の私時間は、穏やかに過ぎてゆく。(まるでお金は不要である)

よもやまさか、このような時間がわが人生に訪れるとは 、今しばらく未知との遭遇をと念じる、私である。

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