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2023-05-17

稲城4日目、五月晴れに想う五十鈴川だより。

 稲城4日目の朝である。5時過ぎに目覚め、ゲストルームで朝湯を浴び10階に移動、いつも通りレイさんが用意してくれた朝食をノア君と3人でいただき、(娘は少し遅れていつもとる)7時半すぎ保育園にノア君を送ってゆき戻って打っている。

稲城は今日も快晴で、5月とは思えないほどの温度が上がる予報が出ている。さあ、今日はどんな一日になるか、ごく普通の何気ない一日をきちんと丁寧に細部を大事に生きたいと、五十鈴川だよりを打つ私である。

そばにすやすや眠る未彩がいる。目の前ではすでにレイさんが仕事を始めている。私がいても仕事ができる集中力に驚く。私も全く気にならずに思い浮かぶ一文が打てるようになっている。日常雑記なのだから、気楽に打てる。

さて、今日のお昼は何を作ろうかと考えているのだが、大体は決めている。わずか3日目であるが、何を作ろうかと言う楽しみが強くなってきている。確かに年齢的にあらゆる動作が緩慢になってきつつあるのを自覚しているが、ありがたいことに今だ十分に役に立っている。

昨日のお昼はトマトガーリック風味のパスタを作って食べたことは、昨日の五十鈴川だよりにうったが、今日のお昼何を作ったのかは、明日の五十鈴川だよりに打つことにしよう。ところで今回の上京は観光旅行ではないので、着かえの衣類はわずかしかもってきていない。朝たまった洗濯物をまとめて、洗濯してもらえるようにレイさんに頼んでおいたのだが、保育園から戻ってみると、すでに衣類がすべてベランダに干されていた。

娘抱き・光が満ちる・五月晴れ

家事を分担して、すべて手際よくお互いがお互いを補完しあい、快適に過ごす工夫をして生活する。私たちの世代とは全く異なるジェンダーギャップのないライフスタイルを、娘たちが実践実現していることに、私は手前みそでは全くなく素晴らしいことだと驚いている。いつの世も若い人達が変えてゆく。

古い世代の常識や概念は新しい世代によって、変えられてゆくことの心地よさを私は感じている。孫が増える度にお爺の役割の変容、老いては子に従うなかでの老いゆく存在の有り様を考えることの深まりは、孫の存在なくしてありえない。

歳と共に社会的な問題とうに関心がなくなりはしないのだが、ごく身近な家族の生活の安寧、些事を先ずは生きることが私には一番大切である。文化は日々の生活力のなかから生まれてくるものであると私は念う。それ以外の芸術や文化にはほとんど関心がなくなってきつつある古希を過ぎた私である。


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