ページ

2023-05-07

見渡せば・すごいヒトばかり・この世かな。と知るGW最後の雨の朝。

 雨が降り続いている。といから雨水が溢れている。GWも今日で終わりである。夢が原に一日、妻と熊山町の英国庭園に半日と、菜園場の草取りに出掛けた他は、ほとんどの時間を家のなかですごし、静かな時間を過ごしている私のGWである。

家のなかでは、横になって本を読んで過ごしたり、この一月にたまっていた書評をまとめて読んで、いまの私の年齢で響いてきた書評を切り抜いて張り付けたり、部屋の掃除や整理をしたり、妻が留守のときは簡単な麺類お昼ご飯を作ったり、お昼寝をしたり、夕刻は公園にお散歩に出掛けたり、買い物をしたり、とまあ普段の休日とほとんど変わらない生活を楽しんでいる。


横になって読んで刺激を受け面白かったのは、98才まで生きられた宇野千代さんの発言録である。あっけらかん、あけすけ、天真爛漫、前向き、そのあまりの振り返らない一途な、一日一日の行動実戦力に、思わず脱帽快栽をあげた。

男の私から見るとまさに女傑と呼ぶにふさわしいご仁である。すーっと読め、すいすいと発言されているが、幾多の試練荒波逆境を艱難辛苦を経験し、それを生来の気前のよさで前だけをみて、その都度乗り越え続けてきたからこその発言だと、深くなっとくし、わずかであれ先生のように、かくありたしと想う私である。

できることなら、可能な限りノー天気に生きていければいうことはないのだが、何事もそうは簡単に行かぬのが世の常である。平凡な一日を可能ならば気持ちのいい一日にできるかできないのかは、やはり気の持ち方でかなり変わってくるような気がするのである。

そういう意味で、気持ちを少しでも上向きにしてゆくために、心を整えてゆくために古稀をすぎて一番行っていることは掃除である。自分が一番過ごすことの多い部屋の雑巾がけ、である。五十鈴川だよりを打つ前には必ず最近は掃除をする。濡らさないで乾拭きをやることもある。数日もやらないと部屋には目に見えない埃がたまっている。人間もきっとそうなのである。

日々新しい毎日を、可能なら新鮮に過ごしたいのだが、そうはとんやがおろさないのが、わが人生である。だからわが体に息を吹き込むかのように、おまじないのように掃除をして気持ちを上向きに保つためにささやかな儀式が不可欠なのである。

ささやかな儀式は他にもある。毎日ではないが真冬以外の裸足散歩である。平均すれば短時間なのだが週に3日はやっている。それともうひとつ、手術後やっていなかった懸垂を昨年の秋から始めたのである。術後一年半やっていなかったので(右腕の下を10センチくらい切ったので)最初は恐る恐る。怖かったが鉄棒にぶら下がった。当たり前だが一回もできなかった。

あれから半年以上、これも平均すれば週に3回くらい(毎日はしない)続けている。今5回できるようになった。もうこれ以上回数を伸ばそうとは思わない。鉄棒にぶら下がるだけでも、あるいは一回だけでも、鉄棒の下にゆき空を眺めるだけでも、気分は上向くのである。

もう十分に老いているのだから、無理は禁物なのだが、宇野千代先生のように生活の好奇心を保ち、面白可笑しく生きるためには工夫が必須である。お金に頼らない晩年ライフを目指す私としては、体に宿る命こそが全財産なのであるから、工夫を心がける。(のだ)

0 件のコメント:

コメントを投稿