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2016-03-10

母の命日に思う朝。

今日10日は亡き母の命日であり、娘の大学の卒業謝恩会の日でもあります。明日は未曾有の東北大震災から5年が経ちます。
今朝の玄関の花

本当に月日の経つのは早いものです。今日は努めて静かな一日を送りたく、娘の送迎以外、夜のカルチャーまでの 時間を、家で静かに過ごそうと思っています。

雨の翌日の日差しというものは、本当に万物を輝かせます。

新聞や報道を見ると気が滅入ることがあまりにも多き、複雑怪奇面妖この上なき時代の様相を呈していて、わたくしごと気の頭ではとんと整理理解不可能ですが、私はただ単に今この世でいきていられる、日差しを愛でられることを、有難く思っています。

さて昨夜は、4月2日の発表会に参加する塾生6名が全員勢ぞろい、7時から9時40分まで、熱き口動かしレッスンが続きました。

風邪やインフルエンザでダウンしていた塾生もブランクを感じさせないくらい、私のいささか無謀なるダメ出しにも、必死にこたえようと奮闘努力しています。

私も含め7人でのレッスンは、やはり各々の眼に見えない電流のようなものが相互作用し、体の中を走り、代えがたき充実したひと時が稽古場【教室】に満ちます。

恥ずかしい姿をさらす仲間との稽古時間は、その場を共有したもののみが体感できうる貴重というしかない時間です。(何度も書いていますが生きるということははなはだ恥ずかしいことなのです)

私も家族にしかさらしたことがないような声を発して塾生と共に、時に夢の言葉遊び時間を共有しています。

シェイクスピアの絢爛豪華極まりなき言葉遊びに、いささか辟易しながらも、自分の中に眠る広大無辺の無意識を呼び覚ますべく、格闘しています。

ささやかな塾長ではありますが、縁で出会えた奇特な塾生に恵まれて日々を過ごせる私の今を、あの世で母が見ていたら何というでしょうか。

演劇などというとてつもない世界を夢見た放蕩息子の行く末を、両親はどのような思いで見守っていたのでしょうか。

歳を重ねるにつれ、つくづく自分はあの両親の DNAをいただいていると実感しながら日々を生きています。

今は亡き両親に何とかやっていますという感謝の思いを込めて、四月二日、三日に向けて恥ずかしくも努力したいと思う私です。






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