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2016-03-16

とりとめなき朝ブログ、竹韻庵に桜が咲きました。

娘が結婚し、もう一人の娘が一昨日大学を卒業した。夫婦二人で出席し門出を寿ぎ、式の間様々な思いが去来した。式の始まりはかなりの雨、終わるころにはやんでいた。

父親としていくばくのことができたのかまったく覚束ないが、ともあれ娘たちは育ち親離れし、すだっていく春は、あらゆる森羅万象が劇的な変化を告げる季節である。

人間の内面も、外界の変化を照らすようににわかに揺れやすく移ろってゆくように不安定になりがちな季節である。感傷的な私は、そっと一人わずかなお酒でもいただきたくなる。

季節は移ろい、私も移ろいかすかに見えない変化が生じる。良き方にも悪しき方にも人は変化しうる。

さて、自分はどうであろうか。娘たちとの出遇いが、自分をきわめて普通の人生の醍醐味を送らせてくれたことに対しての感謝は言葉がない。

さていよいよ子離れし、未知の夫婦人生をこれから歩むことになる、退職後徐々に夫婦共通しての時間をもつように心かけているが、私はあくまでこれまでと同じように自然体でと考えている。

妻はフルタイムで働いているし、私もまだ次から次にやりたいことがある今を、自分らしく自然に流れてゆくなかで、できるだけ熟成するような夫婦時間を持ちたい。

ところで、昨日 竹韻庵に一週間ぶりに行ったのだが、いきなり桜の花が咲いているのが視界に道沿いに入ってきた。

妻の宝のメル(すっかり私のメル友である)
わずかに一週間でかくも自然は、ある日突然開花するのである。色がなかったところが春の色彩で満ちる。それを愛でる自分の心に何かが忍び寄る、全身が緩む春である。

最近愛犬メルを伴って竹韻庵にゆくことが多いのだが昨日も行ったし、今日もわずかな時間だがゆくことにしている。

メルという相棒がいると ひとりでの作業も何とはなしに気持ちがいいのである。休憩時間は私のそばを離れないので、なんとも愛おしく感じるのだ。

山の中の落ち葉をかき集めることを、このところ少しずつやっているのだが、けっして私のそばを離れない。自由自在に山野を動き回る。

動物本来の時間に還れるのがうれしいのだろう。良き相棒である。

私も竹韻庵一人山野タイムを楽しんでいる。家に戻ってからは、またまったく別の時間を過ごす。

かくして一日は、ことのほか早く過ぎゆくというわけである。

ところで今日はテレビの取材があるので、塾生はいささか興奮気味、私自身はあくまでも自然体で、とはいうものの編集されオンエアされるテレビは怖い。

何を聞かれてもきちんと答えられるように、おちおちブログを書いている余裕もなき 私なのだが、ほんの少しでも竹韻庵に行ってコンディションを整えてから、今夜の天神山でのレッスンに向かおうと思う、今朝の五十鈴川だよりである。

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