ページ

2014-04-25

お百姓仕事は、限りなく脳を活性化させる。

開墾から始めた畑にこんなにも早くネギが植えられてゆくようになるとは、素人丸出しの私にはまるで予想ができなかったが、ようやく少しは葱畑らしくなりつつある。

何せわずかな人間で動いているのでなかなかはかどらないのが農業仕事だとつくずくおもう。定植機で植えてゆくのだが、植えた後の補植に結構手間がかかるのである。

それと、なんといっても雑草対策、ネギよりもずっと成長が早いので畝の中や、間に生えた草を抜いたり、鍬で表面を削ってゆくのだが、これが根気がいるのである。

だが、やはり若いうちに根気を養う経験をしておくと、そのことを楽しむとまではいかなくとも、苦が楽になるような方法を身体の方が教えてくれるのである。A専務がのんびりやってくださいという言葉にも救われるが、以前も書いたと思うが、私はひたすら鍬の使い方がうまくなりたいと思っているのである。

もっともっと歳を重ねた歳月に、庭で可能な限り菜園生活をしたいと思う私にとって、鍬を上手に使えるということは、必須なのである。母が鍬を使うのを見ていると、まったく身体に無駄な力が入っていない。

声を出すこともそうだし、あらゆることに通底するかと思うのだが。なにごとも集中無心にやっていると、何かが見つかる。そのことを身体が知っているので、先に進んでゆけるし、8列の葱が100m近く完了すると、やったあという充実感に救われるのである。

相棒のN氏も同様のように動いている、と感じる。相棒との息が合っていないと、定植機は二人で動かすのでなかなかに、はかゆかない。ああしよう、こうしいようと二人で大まかな一日の作業の流れを確認するのだが、ほとんど我々の考えは一致する。

サンナンで働いていて楽しいのは、又とない相棒に恵まれたからだと思う。今日もこれから畑でN氏との時間を過ごすのであるが、畑に立ったら、もうだいたいあうんの呼吸で事が進んでゆくのだ。

だから仕事がことのほか楽しい。雨が降ると、朝一番確認の電話や、夕方明日の段取りなんかが留守電に入っているという按配だ。

氏は愛妻家である。畑で臆面もなく奥さんのことをのろける。週末はデートだなどと、歳を忘れて青年のようにのたまう。無類の魚釣り師でもあるが、潮が悪いときはゆけない。そんな時は奥さんとのデートである。

話がそれたが、早いとか遅いとかではなく、仕事に関してきちんと向かい合っているかいないかの問題なのだ。貴重な開墾仲間でもある相棒との仕事はことのほか楽しい。

セカンドステージに入った我々の世代にとって、お百姓仕事はいやでも応でも身体を動かさないといけないので、ボケてなどいられないのだ。養老先生が言っているが、農の仕事は脳を、つまり身体を使うということなのである。

養生という言葉があるが、農の仕事はまさにこの言葉に極まる、と思える。(今日の写真は母に頂いた、フリージアです)

0 件のコメント:

コメントを投稿