ページ

2014-04-30

私を驚かす、妻の創意工夫力。

4月末日は何とはなしに妻のことが書きたくなった。妻は自分のことが書かれるのをことのほか嫌がるので、写真はもちろんほとんど書いていない。

なにか書くと、おのろけ的にとられるのを、私もあまり好まないので、つとめて妻のことを書くのは、今後も今しばらくはないと思う。しかし、もし私の体に異変が起きたりして、意識がはっきりしていたら、どうしても娘たちに伝えておきたいことを書くだろうとは思う。それはやはりブログではないかたちになるかと思うが、今は分からない。

そのこととは別に、セカンドステージに入り、お休みの日も共に過ごすことが多くなってきたりすることから、妻の新たなこれまで私があまり知らなかったような一面を間近に眼にすることが多くなってきたように思う。


妻も娘二人をほぼ育て上げた今、新たな自分の世界を再び築き始めているように感じるのだ。ガーデニングに対する彼女の情熱の注ぎ方は、やはりこれまで私が知っている妻とは明らかに異なる側面を、私に感じ始めさせている。

妻は私以上に質素倹約ができる生き方を、母の姿を見ながら育ってきている。持って生まれた性格、女性という性の違いもあるかもしれないが、あらゆる点で私とは対照的で、ほとんど家から出かけなくても、充足する世界を見つけようとしているかのように感じられる、最近の妻である。

娘が秋に嫁ぐので、そのこともあり、子育てを終えたとは言っても、他の大多数の庶民のように節約生活は続くのであるが、そのこととは別にして、彼女の時間の使い方を見ていると、工夫して何かを作るのが、ことのほか多くなってきたのだ。

昨日も使えなくなった傘を解体し、骨をさかさまにして植物のツルを這わせるようにしたのを(いつか写真にアップします)見てみてというので、見たのだが、その発想力には驚かされてしまった。

ちょっとした囲いなんかも、拾ってきたものや、不用品やあるもので工夫して作ってしまうのである。そのいわば工夫する力に、私は感動する。

先日、私が顔にかなりの紫外線を浴びて帰ってきたら、母が買ってくれた新しい麦わら帽子に頭の後ろ側が紫外線を浴びないように、白い布を取り付けてくれた。おそらく買えば売っているのだとは思うのだが、よほどのことがない限り、なんとか工夫する、そのことが嬉しいのだ。作ると子供のように、見てみてと私に迫る。

力仕事や、彼女が苦手なことは私がして、私が苦手なことは彼女がする。まったくの分担生活を互いに不可侵で行う生活。これが今のところお互い健康なのでうまくいっている。

彼女の工夫力が、私にもちょっぴり影響を与える。これまではあまりしなかったことスーパーでの買い物なんかも最近は意識的にするようになってきた。節約工夫する中でのやりくりを意識的に心懸けるように、以前にもましてするようになってきた自分がいる。

刺激し合える夫婦でありたい。たまたま同居している必然に歳を重ねるにつれ私は感謝している。

(きょうの写真は、妻が作ってくれた遊声塾発表会のチラシです)


1 件のコメント: