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2014-04-23

GW、家族全員での7年ぶりでの帰郷の旅が近づいてきました。

時折、岡山不在の時まではさすがにブログを書こうとは思わないが、岡山にいるとき、とくに一日が始まるまえ、自分に元気を吹き込むように、何やらつづりたくなる、のが何か当たり前になるつつあるような最近の私だ。

全く書くことを決めていない、起きた時勝負みたいな我流即興ブログと化しつつある。ところでこの間、軽井沢経由東京への旅を終えたばかりなのだが、またもやGWが近づきつつある。

今年は家族全員での、宮崎(門川)への旅となる。娘が秋に結婚式を挙げるので、両親のお墓参りを兼ねて、その御報告にゆくたびとなる。全員での帰郷は7年ぶりである。新たな家族となる、レイ君はもちろんはじめての旅だし、姉はこないだ東京駅でほんの少しレイ君にあったが、兄たちははじめて、レイ君を紹介する旅でもある。

五十鈴川。私が小学生の夏、プールなき時代、何度も何度も、真夏の炎天下往復4キロ、歩いて通い、泳ぎを見よう見まねで、覚えた川の名前。(我が故郷は大小の川が素晴らしいのだ、それと山と海)

自力で何かをなすことを、教えてくれた川が、五十鈴川である。この川の源流の宇納間(うなま)というところが、日高家の先祖がすんでいたところだ。

だから、娘のフィアンセには、この地をなんとしても私は踏んでもらいたいのである。つまり、今回のGWの旅は、娘の伴侶に我が故郷を紹介するもうなかなか全員でゆくことは、かなり難しい貴重な旅になる予定なのである。

遠いので、現地には丸3日しかいられないが、幸い兄や姉たちが元気だし、帰って来いと温かくいってくれるので、私としてはお言葉に甘えて、御厄介になるつもりだし、姉や兄が結婚式にドイツまではゆくことは難しいので、ささやかに夕食会でもしたいと考えている。

ともあれ、レイ君と娘から、結婚したいとの報告を受けたのが、昨年のお正月だから、何やらの急展開に、私自身身体の意識がついて言っていないというのが正直なところだ。

がしかし、それが人生なのだ。予期しないことが次から次に起きてゆく。私と妻との出会いだって、まったく予期しないことから始まって今に至るのだから、まさにこの世は意外性の連続の未知との遭遇の旅というしかない。

こんな個人的な朝ブログのあれやこれや、を開いて読んでくれる人がいるのかしらん、と思うのだが、いたしかたない、今朝はこんな感じだ。

それにしても、私の故郷に対する思いは歳とともに美化され、深まる。この半世紀で、人心も原風景の町並みもまったくと言っていいほどに、記憶の姿を変えてしまったけれど、ありがたいことに、自然はいまだあまり開発されず、かなり記憶のままに残っていて、そのことがとてつもなく私には嬉しいことなのである。

だからこそ、私はいまだに我が故郷に、そっと足を人知れずとも運びたくなるのである。在来線で時間をかけてまで、帰郷する私の故郷への思いは、きっと死ぬまで変わらないだろう。そこに五十鈴川が流れている限り。

五十鈴川のほとりにたたずむだけでも私は満足である。きっとレイ君にも、ドレスデンのどこかに記憶の原風景があるはずである。よしんばそれが都会であれ、ヒトという生き物は、記憶の原風景を持つ。9月ドレスデンで式を挙げるのだが、彼の故郷をこの目でしっかりとやきつけてきたいと今想っている。

娘が選んだ相手がドイツの男性であることから、新しい世界がまたもや動き始める。今に始まったことではない、人間は愛と幻想の生き物だというしかない。そのことを私は心から肯定的に受け止め、一人のささやかな親として、見守り続けてゆく覚悟である。

(今日の写真は御近所から頂いた、筍と我が家の初収穫のサヤエンドウです)

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