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2014-04-22

安野光雅画伯の【会えてよかった】という本を読みました。

火曜日の朝はごみ出しの日である。先ほど深呼吸しながらシーンといまだ静まり返っている住宅街を歩いて行ってきたのだが、空には半月が煌々といまだ又たいていた。春の夜明け前のおぼろ月。いまだ風情などというものに何やら感じ入ってしまう、日本人の私の心。

これから夜が明けてくるまでは、なんとも形容しがたいほどの、詩的(私的)充実が私の中に生じる時間帯である。おそらくこの感覚が、私にブログを書き続けさせているのかもしれないという気さする。まさに陽があまねく万物を照らし始める直前の、言葉にならない、感覚。

さて、安野光雅さんという画家がおられます。1926年のお生まれですから、もうかなりのご年齢です。この方がこれまでの人生で出会った素敵な方々50名の思い出を綴ったエッセイ、【会えてよかった】という本をゆっくり読み終えました。
御自身の装丁

画家ですから、絵が素晴らしいのはもちろんですが、文は人なりをまさに知らしめてあまりある本で、安野文体というしかない文章は、読んでいて滋味あふるる感性が随所に光っていて、、著者がいかに、出会えた方との交友を大事になさっていたのかが伝わってきて、、静かに本を閉じた。

高峰秀子さんをはじめ、そのうち32人の方は、本を読んでいたり、テレビで見たことがある、つまり身近に感じられる、いわゆる私の好きな方々だったので、なおさら安野さんの本を愉しく読むことができました。面白い、エピソードが満載、知られざる素顔が、安野さんのタッチで描かれてゆくので、その面白さは、実際に本を手にして読んでいただくほかはありません。

それにしても、年齢を超越したかのようなユーモアあふれる感性と、しなやかな文章には何度も驚かされました。また画家の記憶力にも瞠目しました。まさに人生は、出会った方々との交友によって、鮮やかに彩られてゆくのだということが分かります。

限られた人生の時間で、こんなにも素敵な人たちと、交友があった(かなりの方々が、すでにこの世にはいない)安野画伯はなんとも豊かな人生を、そして今も歩まれている、と感じ入った。いまだ若輩の私だが、きっともっと時間が過ぎ人生を振り返った時、思いだすのは出会った印象に残る、人たちのことではないかという気がやはりするのである。

有名無名ではなく、その方たちのことを安野画伯のような文章では書けなくとも、私も何か書くことができれば、何か夢のように楽しいではないかと、想う。振り返れば、まさかこんなにも自分がつたなくとも文章をつづることを、苦しくともまた楽しといった塩梅で、書くようになるとは、私自身思いもしなかったのだから。

25歳の時、息も絶え絶え、ロンドンに流れ着き、私は生まれて初めて日記なるものを書いたのだが、(その時の日記が手元に残っている)とても他人様に見せられたものではない。恥ずかしきことこの上ない、誤字脱字、無知蒙昧丸出しの日記なのである。

だがしかし、それが私なのである。でもまあ、きっと何かに導かれてロンドンに流れ着き、今また畑に流れ着いているのもまた、何かのお導きなのだと、自分勝手に良き方へと考えている。あの時つたなくとも、一日も休まず【ロンドン日記】を書き続けたことが、私が人生で初めてつかんだ自信なのだから。

ヒトはどんなに他者から影響を受けようとも、自分という器を運ぶ存在でしかあり得ないのだが、今も私は、素晴らしい他者との巡り合いを、どこかで望んでいる。それが一番贅沢なことではないかという気がする。

1 件のコメント:

  1. 4月23日のブログに「読ませていただいていますよ !(^^)!」と投稿しようとしたのですが
    何度やっても 書込みできません。
    というわけで 1日前のここに コメントを入れておきます。

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