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2014-04-15

姪の結婚式のおかげで、意外性というしかない、旅の締めくくりの出来事が起きました。

35年ぶり文学座のアトリエの前で、昨日
4月15日の朝です。軽井沢での姪の結婚式のおかげで、ちょっと贅沢なまる5日間の旅を終え昨日の夜9時過ぎに帰ってきました。

さすがにくたびれて、すぐに荷をほどき、こまごまとかたずけ、すぐに休んで先ほど起きて、速やかに画面に向かっています。

何やらまだ、時差ぼけならぬ旅ボケのかんじなのですが、何やら書かねば、と、気は焦りつつもまだ、身体が起きていないといった塩梅。

たった五日というべきには程遠き、私にとってはいささか濃密なというしかない、何かから御褒美を頂いたというしかないほどに、幸せな時間を過ごすことができた旅となりました。

このブログで又、お休みの日に、ことの顛末他、書きたいことはゆっくりと、又休日にでも書きたく思いますが、とりあえず何か書いておかないとと、思わずにはいられない、悲しき嬉しき性なのです。

10日は、朝5時半の汽車で、ひたすら東海道線上京、車中読書と、い眠りと、車窓を眺めてのモノ思いに耽っていると夕方6時には、品川につきました。

隣の田町の常宿の宿には、親友のK氏が待っていてくださいまして、その夜は田町で軽く再会の夕べ、少しのおいしいお酒と、日本食を頂き語り合い、気の置ける友との楽しいひとときを満喫しました。

翌11日は、午前中少し田町近辺を散歩したのち、羽田へ。宮崎からやってくる兄や姉を向かえ、東京駅に見送り、私は羽田で少しのんびりお昼を澄ませて、バスで軽井沢へ。

夕方5時ごろ、結婚式が行われる星野リゾート着、これまでの人生で初めて泊まる、私にとっての贅沢な、リゾートホテルに姉と二人で同宿。

すぐ姉と温泉につかり、結婚式に参加する人たちと、旧交を温めのんびり夕食ののち語らい、早めに姉と語らいながら床につきました。

12日夜中、姉と満点の星がまたたく中、24時間入れるもうひとつの温泉に入り、再び床に、早朝またもや温泉に、この温泉は、これまで私が入った温泉では最高の雰囲気の、贅沢な温泉でした。だから姉とともに2回も足を運びましたが、夜中は男湯は私一人でしたので、もう最高でした。

姪の結婚式は11時から、すべて終わったのが午後2時半、静かな別世界の挙式でした。参加者全員からの、祝福を受け幸せな結婚式でした。兄夫婦がやはり一番ほっとし、嬉しそうでした。

終えて兄たちとお別れ、私と姉は羽田へ。東京駅に着いたのが5時近く。丸の内で娘と婚約者のレイ君が待っていてくれたので姉に紹介し、少しお茶を飲み語らい、私と姉は羽田へ。7時過ぎの飛行機で宮崎に帰る姉を見送り、私は調布に住む娘のところに、この日は泊まりました。

娘とレイ君が、夕食を作ってくれていて、8時過ぎから親子3人で夕食をし、食後カメラの写真をレイ君がテレビにつなぎ、大きな画面で私が撮ってきたいろんな写真(岡山での生活の写真を多く含む)を楽しく見ながら語り合い、用意してくれたベッドでぐっすり寝ました。

13日、娘のところを早めに出て、手荷物を預けてから神田へ、お昼すぎまで神田で過ごし、古本をなんと8冊も買ってしまいました。午後2時半から、岩波ホールでアンジェイワイダ監督の最新作・ワレサを観ました。ポーランドの民主化に欠かせなかった・連帯・を率いた人物の人生を描いたフィルム。岡山ではなかなか見れないので、とにかく見ました。(私の中ではアンジェイワイダは高齢だし、とにかく生きて映画を撮っている限り、観たい映像作家の一人です)

観終えて、銀座を一人散歩し荷物を取り、三田の宿へ。午後7時近く親友K氏と再び合流、9時過ぎまで宿で氏の用意してくれたビールとおつまみで語らい、最後に外にラーメンを食べにゆき、その夜はお開き。
K氏は東京タワーが大好きです

そして、14日昨日です。早めに岡山に帰る予定だったのですが、何故か私が27歳の時に、1年間通った文学座に、(中央線に乗っていたら)急に行ってみたくなり、急きょ信濃町で下車、記憶を頼りに35年ぶり、行ってみると近くに新しいビルが建っていて、事務所はそこに移転していましたが、私の中に記憶のままのアトリエは、なんとそのまま。朝まだ早き9時過ぎアトリエには誰もおらず、なんと鍵がかかっておらず、わたしとK氏はその無人のアトリエに入りました。

続きは、又休日にでも書きたく思いますが、何せ昨日のことなので、若き日の春の日々のことが昨日の出来事のように、思いだされてきて、しばし呆然と堰を切ったかのようにいろんなことが一気に蘇ってきたのです。

とどめは、一枚のポスター、今三越劇場で上演されている芝居の出演者の名前に、私と同期の古坂るみ子という名前が、飛び込んできたのです。

私は、35年ぶり、どうしても古坂さんに会いいたくなりました。予定変更、芝居を見ることにし、事務所があくまで近辺を散歩、朝食を済ませ、10時過ぎ再びアトリエへ。チケットを予約しました。とても親切な方で、同期だというっと、一割引きにしいてくださいました。

マチネーで午後一時半まで、時間があるので、私は初めてK氏とともに靖国神社にゆき、そこから歩いて、再び神田に向かい、K氏が教えてくれた。映画や演劇専門の古書店で、ニキ―タ・ミハルコフ監督に関する資料を探しました。黒い瞳のパンフ他が手に入りました。(又書きたく思います)

午後一時半から、古坂さんが出ている芝居観ました。これが素晴らしかったのでまたゆっくりと書きたく思います。

観終えて、慌ただしい楽屋を訪ねると、喜んで時代物のかつらを外したお化粧のままで、会ってくださいました。青春を共に過ごした同期というものはありがたきもの、ジーンときました。彼女は今シャンソン歌手としても活躍していまして、別れ際最新の発売いされたばかりのCDを私にくれました。

私たちは、再会を約束しました。最後の一日は、思いもかけぬ大どんでん返しの一日となったのです。サイコーの意外性、これがドラマだと、見違うかのような。


観終えて、慌ただしく三越から神田まで歩き品川へ、荷物を引っ張り出し、詰め替えて、5時17分の新幹線に飛び乗りました。

この間、影のようにK氏がすべてをサポートしてくれました。持つべきものは友という以外にないくらい、今回もまたあれやこれや言葉なき次第です。この場を借りて深く感謝します。ありがとうございました。

西大寺駅に着いたのが9時、重い荷物を持って帰る道すがら、いろんな思いが去来しました。

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