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2022-04-09

チャップリンの言葉に今現在も励まされる春の朝に想う。

 今回のカテリーナさんのチャリティー演奏会は、全面的な家族の支援がなかったら、実現はしても、このような嬉しいと言う他はないほどの喜びの10年ぶりの企画は決して成就しなかったであろうと(まだ実現してはいないが)思う。

臆面もなく打たせていただくが、娘たち夫婦始め、分けても妻の献身的なサポートには驚いている。身内のことなので野暮なことを打つのは控えるが、予約の電話が入り始めてからの対応は、私一人ではきっと無理であったろうと思う。まったくの個人的な思い付きの自主企画なのであるから、スタッフが全員ボランティアである。

つたなくとも、ささやかであれ、生き生きと創造的にチャリティー演奏会に関わってくれている家族の存在は、親バカを通り越して親元を離れてからの彼女たちの成長を改めて私は知らされている。もっと打っておこう。このような娘たちと今回の企画を通して、共通のおもいを共有できたことの意外な展開の深まりに、感無量なのである。

沖縄の桑江良健氏の絵画

今回のカテリーナさんの企画が無事にすんだら、古希の喜びを書きたいという気持ちである。いまはまだそのような余裕はないが、こと家族に限らず、今回は音信が途絶えていた意外な方々との旧交が新たに始まったことも、私にして見れば奇跡的にも思えるほどの、老いてみて初めてわかる実りの喜びとでもいう他はない。意外な喜びが日々何らかの形で訪れている。その事が今現在の私の精神と体にどれ程勇気を与えてくれていることか、計り知れない。

このようなことは企画しなかったら、金輪際このような旧交再開は、私の人生には訪れなかったことはまず間違いない。そのようなことを思うとき、チャップリンの言葉が忽然と甦る。人生でもっとも大切なもの、家族友人、少々のお金、そして勇気であると。

途方にくれていたとき、二十歳のときに読んだチャップリンの自伝は(中野好夫訳)その後の人生の折々で私を助け、いまもまた私の脳裡をかけめぐる。

ウクライナの艱難辛苦を生きておられる方々のことを思うとき、我が身との状況のあまりの相違に、時おり忸怩たる思いに駆られる。我が世のはるだけではどこかしら心が痛み、申し訳ないのである。

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