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2022-04-11

祈り行脚に出た翌日の朝に想う、五十鈴川だより。

 昨日五十鈴川だよりを打ったあと眠くなかったので、春の陽気にほだされたわけではないのだが、今年はお花見もしていないないなあ、する気分にもならない散り始めた桜をしり目に、妻は仕事なので、朝食をしっかりととって夜明け前、一人行脚に出た。単なるウォーキングではなく気分は祈り行脚。結果的にまたもや岡山駅まで歩くことに。

今年になり岡山まで歩くのは4回目である。平均すると月に一度は歩いていることになる。ウクライナでの戦争が勃発してから歩くことを忘れてしまったかのような日々を送っていたが、チャリティー演奏会の集客の目処がたってきたし、意味もなくただただ歩きたくなったのである。

今年になって始めたウォーキングだが、ウクライ

妻が当日に向けて頑張っている

ナでの戦争が始まってからというもの、どうにも落ち着かない日々が続いて、暫し歩くということを忘れていたのである。演奏会に向けても一段落ついたのもあり、歩くことでうちなるざわつきを、鎮めるために、ちょっと長めの距離を歩いた。

家を出たのが、なんと5時20分の夜明け前、水分補給と切り抜いた新聞記事ほかを、バッグに詰め背中に背負い、途中までは初めてのコースをたどり、途中曹源寺に寄り道をしてお参りを済ませ、東山峠を越えてからは後楽園沿いに散り始めた桜の下を歩き、岡山駅についた。

寄り道しても、8時には着いた。いつものようにコンビニで熱いコーヒーをのみ、妻にメールをいれ、8時半の赤穂線で我が家に。駅のベンチと車内で切り抜いた、おもにウクライナに関する記事を読みながら。

チャリティー演奏会を企画してから、なかなかゆっくりと新聞他の活字を読む時間がとれなかったのだが、この土日は精神安定剤を飲むかのように文字をおった。家に戻ってからもしばらく休んで再び活字に触れていると、福山のFM放送のかたからお電話があり、来週カテリーナさんのチャリティー演奏会の企画について電話で出演してほしいとのことであった。

もう集客の目処はたっていても、なぜこのような企画を発心したのかについての思いなど話ししてほしいとのことだったので、軽い気持ちでお引き受けした。何せラジオのインタビューを受けたりするのもすべてが10年ぶりのことなので、浦島太郎の私としては先のNHKのF記者と同じように若い世代の方との語らいの時間などは普段の生活ではなかなかにもてないので、出ることに決めたのである。出会うのである。

出演依頼のお電話も丁寧で真面目にしっかりと受け答えのできるかたであったし、何よりも企画者の端くれとして思うのは、在野で勇気をもって新しい企画を地方でもガンガンやる、若いかたが出てきてほしいとの強い私の思いがあるからである。

企画を実現するには、お金がいる、時間がかかる、一人ではまず無理、他分野の人と交渉する力がいる、あれやこれやの煩雑極まる手続きがいる。忍耐力、そして何よりも普段から素敵な人と出会えるための準備のような生活をしていないと、まず難しい。感性のアンテナを磨き続けるしかないのだ。もっと打つなら自分がみずみずしくなければ、みずみずしいバネがなければ、企画は叶わないのである。もう十分にみずみずしくはない私を、どこかで私は自覚してはいるが、まだ枯れてはいない。だから企画行脚するのである。

正直、もう私の出る幕ではないという想いもどこかしらにはあるのだ。だが、戦争が続いているのだ。大規模な一歩間違えば、人類の危機にまで及びそうなまでの、展開にややもすると陥りかねないほどの出来事が、3000キロ離れた地域で続いている恐怖の人々のことを想像すると、老いたの何だとだのいえない、私がいるのである。

まさに行脚のあとに、このような出演依頼が舞い込むのは不思議である。やっぱりなにか祈りにでもにた行動が、呼び水にでもなっているのではと、感じるのだ。アクションは動くことでもあるが、じっと書いたり、思念することもアクションだと私は思う。演奏会まであと2週間、時は流れその日は来る。それまで安寧を祈る生活を続け、微力を尽くすだけである。

レディオ備後には14日、夕刻17時45分から10分間出演する、有り難いことだ。

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