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2022-04-04

4月24日までいよいよこれから3周間、ネジを巻き直し暫し飛ぶ老人を生きる。

 悪夢と言うしかない切り取られた映像がこれでもかと流れてくるのを、まるで映画のように見せられるとどこか感覚が麻痺してしまうのは、きっと脳の本能的な防御装置が働くからなのだろう。最初は死体をみて驚くが、平気で死体を飛び越えて歩けるようになると、なにかで読んだ記憶がある。

非日常が、常態化してしまうと、あにはからんや自分もこのように変化してしまうのではと、想像すると、もうなにも打ちたくないほどになるのではとも想うのである。だからきっとそうはなりたくないとの、訳のわからぬ想いが今朝も五十鈴川だよりを打たせる。いや、どこか平衡感覚を失いたくないと言うか、情報に思考がからめとられたくないとでもいうしかない想いにとらわれるのである。

26才の時アイルランドダブリンで求めたケルト紋様

もっとはっきりと打っておきたいのは、自分は安全で守られたところにいて、他者の痛みも自分の痛みとして感じることはなく、いけしゃしゃあとさも識者面をして、騙ってうまない輩を私はどこか遠くから眺めながら、ああいう手合いは信じられないと、もう大昔の若い頃から思っている。責任感のない輩、無責任な烏合の衆と大差ない。他者の涙、痛み苦しみ、悲しみにたいしてのあまりの鈍感さに、うんざりしてしまうのである。

その点は、遥かにまだ新聞の方が、思考が行き届いて、なるほどなあ、と思わせられる寄稿や談話が寄せられていて私などは、もっぱら文字を追い、これはじっくりと読まねばと言う記事は切り抜いて、朝の頭がしっかりとした時間帯に読むことにしている。4月24日の演奏会を決めてから、落ち着いて新聞を読む時間が一気に少なくなったのだが、意識的に努めて新聞の自分が信頼できるかたの思考情報を得るようには心掛けている。

もう古希を迎えた老人なのであるから、ことさらに情報を追いかけたりする側にはとうの昔におさらばしている。ゆっくりとどちらかと言えばボケる側とは言わないまでも、木偶の坊の側にゆきたいと言う思いが、最近とみにましてきているのである。

このようなことを打つと、きっと疲れがでているのだと自分でも想うのだが、私の疲れを吹き飛ばしてくれるありがたいと言う他はない激励のお電話や、お便りがこのところ何件も寄せられていて、こんなにも木偶の坊の私を激励してくれる友人や知人がいることにたいして今更ながらのありがたさが沁みるのである。

確かに疲れはあるが、希望を持ち続けてきたからこそ、古希を迎えることができた私としては、飛ぶ老人を今しばらくいきる覚悟である。後3周間いよいよこれからが大事、ネジを巻き直し当日に向けて熱く頭を冷ましながら、責任の完遂に向けて微力を傾けねばと、思案する朝である。


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