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2022-04-17

カテリーナさんと3回目のお電話が叶った翌日の早朝に想う。

 昨日夜、カテリーナさんとなんとか連絡がつき、これで安心して24日のチャリティ演奏会を迎える目処がたち企画者としては、安堵し普通の人よりはずっと早い朝を迎えている。日曜日なのだし、もう目覚めたときが私の起床時間とかしている初老男の生活なのである。つまりは自分流生活を、ただ単に実践しているだけなのである。

カテリーナさんとお声を交わしたのはわずか3回である。横浜で岡山での演奏会を依頼したときと、チラシを作るための写真の件でお話ししたときと、昨夜当日の岡山入りの到着時間他の件で。なかなか連絡がつかず、正直少しやきもきはしていたのだが、企画を横浜で決めたときから、どこか腹をくくっていた私とは異なり、演奏会当日の受付をしきり、進行表作り他細部を詰めないことにはどうにも困る妻の心労はピークに達していた。

妻が創案したチラシチケット

少しでも妻の心労、負担を減らすべく私はさすがに昨日は電話を何度もカテリーナさんにかけた。ショートメールも着信拒否、困った。なんと横浜の演奏会場でお会いし、いただいたウクライナ大使の名刺の携帯に困っている旨の留守録を吹き込むことまでしたのである。

するとしばらくして大使からお電話をいただいたのにはこちらが驚いた。つたない英語でのやり取りをしたのだが、大使はわかったといってくれたのには感動した。極めて普通感覚の持ち主であられたことに。一気に私はウクライナ大使に親近感を持った。

話を戻す、カテリーナさんと3回目の電話でお話ができたのは午後7時過ぎ、私が留守録を入れた(通信拒否は消えていた)直後折り返し電話がカテリーナさんから電話が入り、一気に当日のことの不安のあれやこれやが片付き安堵したというわけである。

長くなるので、終わりよければをよしとする私としては、細々としたことは抜きにしても、ウクライナでの戦争が勃発してからというもの、すごいスケジュールをこなしていることが電話の向こうから伝わってきた。だから努めて彼女の負担を減らすべく、ただ黙って彼女の新幹線岡山到着時間を知らせてほしい旨と、必須事項を伝え電話を終えた。

明らかに非常事態渦中を、一人のウクライナ人として必死に活動されている大変さが、引きも切らぬあらゆる電話がかかってくる大変さが伝わってきたので、早々に電話を終えた。でも私も妻も本当に安堵した。声には人柄が顕れる。横浜で言葉を交わしたときとまったく変わらない彼女のお詫びの言葉を聞いて、私としては労りの言葉をかけ、元気に岡山に来てほしい旨だけを最後に伝え受話器を置いた。

契約書もなく、ただの指切りでの約束での演奏会以来を、快く引き受けてくれた当日のことを私はけっして忘れないだろう。企画をすることは人間を信じることであるとあらためて思い知らされた。

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