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2022-04-05

4月5日の春の朝に想う。

 起きてまもない体だが、打って始動する。傍らに淹れたてのコーヒー、後は夜明け前の静けさが私のお友だちである。まだこのしっかりとは起きていないからだで何やらを打っている時間帯が、私は無性に好きである。静けさや・自分と出会う・時間かな、ってな案配である。

ところで、4月5日は企画者復帰宣言五十鈴川だよりを打った3月5日から一月である。あれから古希の老いびと時間は、まさにいまも飛ぶように流れてゆく。いつまで続くぬかるみぞ。戦争を始めたはいいが、引っ込みがつかなくなっている。傍観者の私としては人間と言う存在のおろかさを対岸の火事のような感覚でもって、言葉でもって無責任に語ることだけは控えたい。

私も一人の人間として、つたない頭で、なぜ人間は正当化する,あらんかぎりの大義を掲げ、かくも無惨な行為を犯し、狂気の淵に落ちてしまういきものである、という現実からめをそらしたくなる。時に思う、こうも陰惨な映像をお茶の間でみせられると、いたたまれない想いに刈られるが、きっと無感覚にやがては自分もまた陥ってゆくのだろう。

だが、どこかの誰かが、泣き叫んで助けを求めているとしたら、満たされた側に、世界に住んでいられる幸福を享受できている私としては、絶対矛盾をどこかに感じながらも、食べ物がある、笑顔がある、いわゆる平和な穏やかさを取り戻すために、何かしなくてはトの想いに刈られるのである。

よしんばそれが大したことではなくても、多くのかたの心に火が灯り、何らかのその人らしい自立的な行動に繋がってゆければと願うのである。私の今回の10年ぶりの企画も、私らしい声のあげかたのひとつにすぎないのである。

多感な思春期から、半世紀以上、音楽、演劇、小説、踊り、絵画、映像、などなどいわゆる芸術や文化のお陰で、曲がりなりにも生きてこれた私としては、たまたまの思い付き偶然のお導きの連鎖で、チャリティー演奏会となっただけなのである。

訳のわからぬ移ろいやすい心と肉体を持つ私ではあるが、どこかで自分と真摯に向き合っていたからこそ、閃きのお導きがあったのだもと思える。99%の汗と1%の閃きなどというが、思考しないとひらめくことは決してないだろう。


才能でも何でもない。要はハムレットの言うように、考え続けるのか考え続けないのか、そこが思案のしどころだと、考えるのである。螺旋状に休んでは動き続ける、にたようなことを毎日打ち続けるのだが、明らかに昨日の私とは違う感覚であるから、性懲りもなく打てるのである。

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