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2012-04-11

激励のお手紙を頂く


2000年西インドを旅したときに求めた作品



昨日10日、直筆のお手紙を2通いただいた。二通とも人柄がにじみ出ているお手紙で(文字にも)2度繰り返して、じっくり読んだ。電磁波飛び交う(身体に与える影響は、やがてゆっくり姿を現すのではないかと、私は考えている)メールが今や完全に主流のなか、私のような、時代を斜に眺めているものには、やはり何と言っても手紙や葉書が、いい。

というわけでもおないのだが、私も昨夜京都のお世話になった方に、取りあえず一筆お礼を書いて投函した。悪筆であれ何であれ、とにかく誠実に対処し向き合う。世の中に出てあまりにも忙しく動く時代の中で、おぼれないように、あくせく生きてきた私だが、なんとか、向こう岸に辿り着き、ようやく落ち着いて手紙を書いたり、ブログを書いたり、一言でいえば、もう時間に追いかけられない生活がようやくにして、42年ぶりに訪れようとしている今、この嬉しさはたとえようもない。

良く、定年したら何をしたらいいのかわからないなんて言葉を聞くけれども、私に関しては、その言葉は全く当たらない。全ては健康だからなのだが、身体があれこれやりたいことを思いつくのである。頭というのは、足や腰の上にあるものであり、脳と体の末端は不即不離であり、分けて考えるのがおかしいというのが、私の認識である。

何かを企画したくなる、思いつく、ということが、ちょっと気障ですが、私の場合生きているという充実感と直結しているので、こういう気持ちが湧いて来なくなったら、素直に潔く、枯れてゆきたいと、元気なうちに書いておきたいのです。

さて、企画するにものにもよるのですが、この20年私が子育てしながら最も頭を悩ませたのが、スポンサーを集めるということでした。(大昔から、芸術はパトロンなしには成立しない)今の日本のこの閉塞感極まる情況の中で、芸術や、文化にお小遣いのかなりを費やすような日本人がどれだけ存在するのはということに関しては、申し訳ないのですが、はなはだ私は絶望的観測しか持っていません。ですけれども、なんとかこの15年私は企画を継続することができたのは、私を支えてくださる、素晴らしい人たちに恵まれていたからだということに尽きると思います。

スポンサー集めに、エネルギーを使い果たし、自分が企画者として学ぶ時間がないことに苦悩しました。それと、スポンサーを募ることに疲れ果てたということも、正直あります。しかし、S氏や、M女史からのお手紙は私のこれからの人生を応援するという、暖かいこころに満ち溢れ、今の日本の時代の現状を憂えるものでした。

昨年の・光・を最後に(大きな企画は)しようかと迷う自分がいたのですが、私を支えてくれる方がいる限りは、企画を全うすることが、私に与えられている天職だと考え、日高事務所で、スポンサーを募り、再出発します。企画したいことが色々あるのです。私がこれまで、なんとか生きて来られたのは、自分自身に(芸術や文化、特に演劇、映画、音楽)お金を費やしてきたからだと思います。

ともあれ、4月中にスポンサーを募る案内を出します。私のささやかな自己資金と私を支えてくださる方々と共に、日高事務所はアクションを起こします。

2 件のコメント:

  1. 夢が原では たいへん お世話になりました
    これからもよろしくお願いいたします

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    1. コメントありがとうございました。岡さんからの反応が一番早かったです。これからはコメントにも可能な限り、返信を書きますからどうぞよろしく。とにもかくにも、これからの自分に期待したく、学んでいきながら、企画します。アクセスしてくれる人が増えることを願いながら、このブログは、広報を目指します。100人の応援者がいれば、毎年なにがしかの企画ができると信じます。良き春を。またお会いしましょう。友人知人のの方に、五十鈴川だより、薦めてくださいますか。

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