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2012-04-30

4月最後の朝に思う


また朝を迎えることができました。いきなりこんなことを朝から書くと、まだ若く健康で病気なんかしたこともない方は、全然ピンと来ないかもしれませんが、還暦を過ぎておられる方や、入院や大きな手術なんかされた方は、若くても生きている自分の命について、極めて敏感に感じておられるのではないかと推察いたします。



さほど何の能力もない、極めて普通の平凡な少年時代を生き、学校の成績は全く振るわず、母親は、そんな私を心配しておりましたが、本人はとんとそんなことも気にせず、周りから見たら、ただひたすら好きなことしかせず、遊んで18歳まで過したような気が、今振り返るといたします。



さて、いま還暦を過ぎて思うことは、自分はこういうふうにしか生きられなかったし、そのことに対しての、後悔の念はほとんどないという感慨をもちます。今このように文章を書いていますと、人間は世の中という大海、また大小の川を何度も何度も泳ぎ切らないと、生きることは叶わぬという、厳しい現実が世界そのものであるということです。


我が家の家庭菜園のネギ坊主

世の中に出て初めて、父母の言葉が染みましたが、なんとか還暦を迎え、いよいよこれから、新たなゾーンに向かおうとする私は、うまく言葉では伝えられないのですが、心身ともに、自分という命の感覚に、敏感になっているように感じています。



病気がちなこともあったせいかもしれませんが、何故生きているのかということに関しての、永遠の謎でもあるかの問いは、幼少のころからありまして、このことに関する問いは今に至るも消えることがなく、おそらくこの闇のような問いが私を演劇の世界に向かわせ、いまかろうじて企画者の世界に辿り着き、この終わりなき問いを抱えながら、企画を模索するということが、おそらくは私が、命を輝かすということになるのかもしれないという気がいましています。



ブログ時間で、考察することではないかもしれないのですが、GWの最中、4月最後の朝は、なぜかこのようになってしまいました。画面を眺めながら書いていると文が転がってゆく、意外なひとときが、幸せな時間です。



老いてゆくこれからの、未知の時間を日々確認しながら、命を見つめてゆけるような、企画を、と願わずにはいられません。


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