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2012-05-08


人間は何故古里を目指すのか、なんてことを古里へ帰る直前の朝に書いています。わたしの場合、もう帰るべき生家はないのですが、まだ兄や姉が住んでいますし、やはりかろうじて保たれている、少年時代を過した、なんといっても五十鈴川が静かに美しく流れているので、そのほとりにたたずみたいという、本能が、まるで鮭のように帰省を促すのです。



その古里の風景が失われたら、いったいどのような思いにとらわれるのかということは、皆目本質的には分からないにせよ、唖然、慄然とすることは、先ず間違いありません。せいいっぱい、他者の痛みを想像するにせよ、古里の全風景が根こそぎ失われ、かけがえのない命を失われた方々の思いは、想像を絶するという以外、私には言葉がありません。



山本太郎さんという、タレントで俳優(今は廃業の危機にある)が、この度の原発事故で、根底から生き方も含め、原発反対の市民活動家として、人生再出発をされています。37歳だということですが、個人的にこういう方もいらっしゃるということは、希望があるということだと、彼より長く生きてきた者として思います。



現在の日本人は、かなりの方々が守りに入っているように思えて仕方ありません。おかしいとか、間違っていると思うことに関しては、どしどし意見をいいあえるような風通しのいい環境をもう少し取り戻さないと、まずいという気が私個人は致します。ささやかではありますが、五十鈴川だより、としては、その清流が原点なのですから、疑問に感じることは、還暦を機に書いてゆきたく思います。



私は、原子力には反対です。核というものについては、すべて反対です。武器や爆弾、戦争に使うあらゆる武器を作ることにも反対です。絶望することにも元気な間は反対です。



何よりも、世界が平和に(こんなことを書くと、小学生みたいで笑われるかもしれない、のですが)安全な食べ物を、シェアーし合い、戦争の無い社会が理想だとしたら、やはり人類は、叡智を結集しそこに向かうという哲学を(汗を流すことから始めるべきです、頭で考えるのではなく)、21世紀は(始まっていますが)創れるのか、創れないのかという、瀬戸際に立たされている、というのが私のささやかな凡人の認識です。



争いよりも、貧しくても、芸術や文化これしかないというのが、私の認識です。歌を歌う、だから日高企画は日本の唄、演歌で再出発します。もうなにも怖いものはないのですから、素直に多面的にいろんなことを、裸一貫で企画します。



世界観が近い方たちで、真摯に生きておられる方々を、企画したく思います。私もタレントとして、活動したく思います。


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