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2012-05-07

妻とのナイトガーデンのひととき

妻手作りのテーブル

GW最後の朝である。昨晩は夕食後、妻と共に食後の時間を、スーパームーンを眺めながら、ナイトガーデンで、束の間疲れを癒し、とてもいい気分転換のひとときを過し、ぐっすり寝て先ほど起きて、朝風呂に入り、これ以上ないさわやかな気分で、春の我が家の緑を眺めながらブログを書いています。



妻のことは、ほとんどこのブログで触れたことはないが、五十鈴川だよりは極めて個人的な、日々の思いを綴るものなので、ときおりは許可を得て書いてみたいと思っています。



妻は、この一年実にまめに、いわゆる彼女らしいガーデニングにいそしんでいます。何より感心するのは、ほとんどお金をかけていないのに、この一年半くらいで我が家の庭は見違えるように、彼女らしい庭に変貌を遂げつつある事実です。私はもっぱら愛でて楽しませてもらっているだけなのですが、つれあいの情熱には感心させられます。



イベントを企画することにも全ては通ずることなのですが、お金があるから良い企画ができるわけのものでも、全然ないわけです。何事もかける対象に対しての情熱が全てであるということを、思うのです。



世阿弥という、不世出の天才が、初心忘るべからず、ということを書かれています。どういう意味なのかということは、各自がそれなりに考えればいいことだと思います。人間は哀しいくらいに、忘れてしまいますし、また私のような凡夫はある意味忘れないと生きてゆけない、とも思いますが、芸事の世界に生き、ヒトに感動を与えるような世界に生きている人間は、肝心かなめのことは、決してゆめゆめ忘れてはならないということなのでしょう。



この年になって、42年の歩みの上に、個人的に自立して、仕事として企画に取り組む覚悟の季節がようやく訪れてきたのだという思いに私は今つつまれています。後がないという思いで一本一本企画しないと生きられませんから、いやでも応でも、私は生き生きせざるを得ないのかもしれません。



ともあれ、できるだけ身体がよどまないように、頭も体も気の流れを循環させるためには何をしたらいいのかを、私は・生き生きヒダカ塾・に参加される方々と考え生きてゆきたい想いに、とらわれます。他者と共に生きて考える情熱の根拠がなくなったら、企画も塾も廃業します。






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