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2012-05-24

自由への幻想

今年2月被災した石巻で

なにかぬきんでた世界に辿り着くことがあるかもしれないという、淡い幻想がいまだに私にはあるように思えます。よしんばそれが実現しなくてもかまわないくらいの気持ちではいるのですが、可能なら無理のない範囲で、自分の自己限界をそれなりの現実との折り合いをつける中で見つける、ということをこれまでの人生で繰り返し今日までやってきたように思います。



何故そういう思いが、しつこく私の中にあるのか、ときおり考えるのですが、幼少のころから、身を震わせるような感動といいますか、そういうことを脳が経験しているがためなのだということを、脳についてさかんに書いておられる茂木健一郎さんの本を読んで、ふむふむといろんなことが腑に落ちました。



これから参加者と共にいきいき遊悠塾を立ち上げる私には、そうかやはり自分がやろうとしていることは、脳にとって、つまり身体にとってとてもいいことなのだという自信を深める本となりました。結局、生から死に向かう時間をいかに生きて、いかに幕を閉じるのかという普遍的な命題を、遊悠塾では自分の身体を他者の身体を鏡として、見つめてゆくという塾なのです。



どんな方が参加して下さるのか、とても私は楽しみなのです。発案者の私が、見果てぬ夢のように創造的に他者と共に生きてみたいと思うのです。私のこれまでの生き方に興味を示してくださる方を対象に、中高年対象の塾です。



自然には、まったく無駄がないという気がします。ひるがえってわずかな時間しか生きていない(たった60年ですが)中で、何と息苦しい文明社会にひたひたととりこまれているのかということを。つまりは不自然な、矛盾の果ての無駄を生きているという気さえします。



世界の人口、70億人、そのうち飢餓にさらされている人が10億人、メタボになっている人が10億人などと統計は語ります。(ところで私は統計や、データの数字はあまり信じてはいないと言いますか、実感がわきません)昔の生活は私だって望まないものの、自分自身の中に(生活に)一言でいえば美をとりもどすこと。幸福感をとりもどすこと、が日高事務所で、取り組みたいことです。



日々書きながら、私も試行錯誤をあきらめず続けます。サヨウナラ昨日までの生活、こんにちは新しい生活(チェーホフの3人姉妹の中の台詞)。

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