ページ

2014-05-25

いまだ動ける体を見失わず、畑にはいつくばって汗をかきながら思考する。

いきなりだが、ほとんど新しき人とも会わず、毎日同じ様な生活をしている私だが、かろうじて書くことを続けているおかげで、何やら世の中というか、他の遠方世界とつながっている感覚を、想像力でかすかに持てているかのような按配がする。

これで書かなかったら、見ることばかりで、ひたすら大きな流れにひたひたと、精神が流されてゆくのではないかという気がしてしまう。以前も書いたが、どんなにつたなき文章であれ、書くためには読み続けなければならない。精神を耕す運動。

そうは言っても、日々働いているいわゆる労働者は、そんなにはきちんと決まったい時間集中しての読書タイムは、なかなかに持てないのが現実だろう。まして若いころから生活に追われ、落ち着いて勉強する時間が、なかなか持てなかった私には、知って学ぶということに対しての、限りなきあこがれのようなものが、いまだかすかに在る。

そのことが、私をして、本の世界にいざなわせるのだと思う。日本語という言葉で成り立っている生き物としてのわたしは、日々読まないと、何やら落ち着かないのである。

そのような日々に、ブログを書くことが加わったというような感じなのである。若いころはよくTVも見ていたのだが、50歳を過ぎ、徐々に時間は有限だという感覚がにわかに強くなってきたころから、本を読む時間と新聞を読む時間が増えてきたように思う。(何よりも独学は面白い)

それは、言葉と相対しながら自分とも向き合う時間と言ってもいいかと思う。かぎられた時間、量は限りなく少ないのだが、やはり何十年も文字、言葉と付き合っていると、いくらぼんくらな私でも、何かがうすくうすくたまってゆくような自覚があるのだ、そのことがいいスパイラルを生み、日々の暮らしがなにやら充実してゆくかのような。よしんば錯覚であってでもそれはそれで構わないとさえ思う。

休みの日は、一週間分落ち着いて新聞を読むことを心懸けている。中でも、日曜日の書評は勉強になる。へーっと思わされることがたびたびだ。だから読み続けられる、おこずかいの範囲で、手元に置いておきたいものを、たまに買う。ささやかな楽しみとして、切り抜きたいものはノートに糊で貼りつける。ちりも積もれば山、ずいぶんそんなノートがたまった。

まったくのアナログ作業だが、だれにも迷惑をかけず、今では気分転換と趣味を兼ね備えつつある。たまに切り抜いたノートを見るが、自分の関心事の移ろいが映っている。

遠隔操作、サイバーテロ、サイバーストーキング、3Dで銃を作る、なんとか細胞、無人攻撃機、などなど、新聞を切り抜き始めたころには、予想だにできなかったようなことが、新聞紙上にはあふれている。

書ききれないが、集団的自衛権、原子力事故による汚染水の問題、世界の混とん化の中、日々垂れ流される情報の中で、何を信じたらいいのか、大部の人たちは途方に暮れるしかないかのごとき世相、金に汚染されてはならないと思う、いかに遊べるかだ。

ますますもって、デジタル時代から取り残されてゆくかのような五十鈴川だより、けっしてデジタル時代を(ブログも書いているのだから)否定しているのではない。だが、ゆき過ぎた、押す押さない、オンオフライフでは、あまりにも潤いのないかさかさ砂漠的人間社会になるのはすでに見えている。

ただ、私は正直に書いておきたいだけなのだ。私の身体が、途方もなき歯止めなきデジタル化の果ての産業兵器、原子核分裂器機、経済資本主義社会に、そぐわないのだと。

もっと書けば、現代人の私の体は、あらゆるハイテク機器に取り囲まれて、悲鳴を上げているのではないかという認識なのだ。だから私は、トイレでしゃがんで考える。気持ちのいい、命の発露をこそ見失くはないといった心境になる、62歳の私だ(5歳の子供の悩みも私の悩みも同じだ)。

そしてそのような感覚をおもちの方々と、野菜など作ったりしながら、限りなきアナログ晩年ライフ、一つのささやかなモデルがほしいと、畑で釜を持ち手ごわい雑草と共存しながらおじさんは汗をかきながら考える。風の歌を聴け、ではなく土の声を聴けである。

(今日の写真は、2000年家族で西インド、アメダバードを旅した際、低カーストの方がすむ部落を訪ねたときに作ってもらった、大切な思い出のコマ)




0 件のコメント:

コメントを投稿