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2014-05-02

故郷に向かう日の朝に思う。

今夜から帰省するが、半日畑に出ることにした。まさに目に青葉の季節がやってきて、畑の周りは
あらゆる植物が一気に伸びてきて、うーむ、このままでは畑がネギが、雑草に侵食されてしまうかのような、危機感を私は抱いている。

サンナンは農薬を一切使っていないのだが、周りの農家の草を殺す農薬の散布は、消費者に見せたいくらいである。これが積もり積もっての、人体やあらゆる生き物に与える影響の甚大さにメディアが、取り上げないのが、消費者の一人としてまったく承服できない。おかしい。

あれほどの生命力のある雑草が無残にも枯れてゆくのである。そのような人工農薬が、無害であるなんて言われても、まず私は信じない。きっといつの日にか、必ず人体に害が及んでくるはずだ。その時では、遅いのである。(すでにきているか)ひと仕事終えた我々おじさんは、ともかく。

未来の人たちや、弱い子どもなんかに影響が出てくると、私は思う。消費者の一人として、可能な限り安全な食べ物を、食べたい。そのことに関しては、大人の一人ひとりがまずは自分の命の源について、食べ物についてきちんと考える力を身につけてゆかないと、危ない。(すでにかなりあぶない)

こんなことを、書くはずでは全くなかったが、私も含めた人類の置かれている立場は、かなり危ういと、時折おもわずにはいられない、のだが、じゃどうしたらいいのかということになると、きれいごとではなく、まず自分でわずかでもいいから、何か命をはぐくむ作物を育ててみる、そんなことからしか、今の私にはできない。

口で言ったり、書いたりすることは簡単だが、雑草をと共存するにせよ、ネギの周りの草を除去するのは、行うはかたしなのである。だが、サンナンの専務はその狭き門の農業を目指しているのである。人間の存在そのものが、反自然的である、ということは置いといて、いくらきれいでも、放射線を浴びた野菜とか、農薬を使った食べ物をすすんで食べたいと思う消費者はまずいないはずだ。

作る農家さんだって、出来るなら農薬なんか散布せず作りたいと思っているのではないかと思う。ではなぜ、こういうシステムになってしまっていて、身動きがあちらこちらで、出来なくなってしまっているのかについて考える力を、身につけるのが大人ではないかと思うが、いかがでしょう。

考え、ささやかにしなやかにアクションを起こす力を、身につけない限り、大きな力に流されてゆくしかない。まずは争わず、仲間と土地を借りるなどして、自分で作れそうな野菜くらいから作ってみること、くらいから始めたら、と考える。

まずは、台所から、食べ物から、身近なところから、手の届く範囲から、身体を動かし、画面付けではなく、地面を、大地に触れる感覚を取り戻したいと、私自身この年になって、まったく反省しきりである。

TV,ゲーム、旅行、ありとあらゆる、時間とお金消費型、受動型娯楽満載の日々の暮らしに、がんじがらめに取り囲まれているが、大地の上に大の字になり、流れゆく雲を眺めながら、深い呼吸をする。生きている実感を取り戻す。

なんとも気持ちがいい。エネルギーが満ちる。又動ける身体になる。TVや車が発明される以前、つまり50年くらい前まで、ほとんどの日本人は能動型時間を生きていたと思う。人間は、命を頂き排泄するいきものである。

後戻りはできないが、私自身この先は可能な限り、受け身ではなく、能動型の時間を過ごしたいものだと夢見る。ハイテクではなく、限りなくローテクライフ。なにはなくとも自分という器を遊ぶ。

何が何だか、論旨無き夜明け前ブログだが、そうそう今夜帰省するのです。帰省し、泳げそうなら五十鈴川につかって、お清めしていただこうかと考えている。しばし、ブログはOFFです。

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