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2014-05-16

このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。

私が働くサンナンという会社は、小さな金属加工の会社である。その中にいまだ利潤は出ていないが、農業部門がある。設立してまだ3年に満たない少人数の部門である。

おそらくその農業部門の募集を知ることがなかったら、サンナンという会社で働くことは、まずなかったと思う。今は娘がそのことを知らせてくれたことに関して、なにやら運命的であったのだと感じている。

このご時世に農の仕事をして、金銭の多寡ではなくお金が頂けるなんてことは、まず私の中では考えられないことだったからである。いずれ時間がもっと過ぎた暁には、面接に行った日のことを書きたく思うが、それは今しばらく置きたく思う。なぜならまだ働き始めて1年もたっていないからだ。

金属部門が黒字であるからこそ、農業部門もなんとか成り立っているから、今はただなんとか農の部門の独立採算が可能になるよう、その中で働かせて頂いている私としては微力を尽くすだけである。

よもやまさかこの歳で、小さな金属加工会社の加工の音を、畑にゆかない時に会社で毎日聴くようになるとは思いもしなかった。日本は製造業の国などとよく耳にするが、いわゆる小企業の現場の雰囲気をこの7カ月以上体感している。

そのことは、私の中に微妙な変化をもたらし始めている。これまで私は小さな歴史公園で企画の仕事を、いわば生きがいのように働いてきたのだが、サンナンで働いている方々は、おそらく私が企画したような音楽会やそのほかの企画に、足を運ぶような方は、まずいないと思うからだ。

なんというのか、静かに闇の中で咲いているかのように、金属を加工する技術にたけた、いわば職人的な世界を生きている方々、そのような雰囲気を持った方々ばかりが、老いも若きも働いているといった、印象なのである。

少なくとも、これまで私が生きて過ごしてきた世界で出逢ってきた人たちとは、異なる世界に住んでいるかのような印象を私は持っている。たまにわずかに言葉を交わす方もいるが、ほとんどの方とはいまだ口もきいたことはない。

何故企画をし、何故企画したものを見てほしいのか、聴いてほしいのか、そのいわば根源的な問いを、私はいままたうすらぼんやりと考え始めている。私が心から見てほしい聴いてほしい人たちはどのような人たちなのか、と。何故企画するのか、なにを企画するのかしないのかそれが問題だ。

話に脈絡がないが、いまちょっとした水準の演劇なんかを見ようとしたら、軽く6千円はする。もっと高いかもしれない。素晴らしい舞台だったが、こないだ上京した際に観た舞台は、一割引きだったが6千円以上だった。

演劇や、音楽や、いわゆる芸術や文化といったところで、早い話ほとんどの方々は、まったく接点無き世界に棲んでいるのである。おそらくシェイクスピアの舞台などに触れることは、おそらくまずないだろう。

だが、エリザベスべス時代のあの当時の人たちは、金持ちも貧乏人も共にシェイクスピアの舞台を楽しんでいたのである。生活に限りなき遊びがあった。天井桟敷に居場所があった。今歌舞伎座ではその名残が残っているが、一幕だけを3階席で1000円で観ることが可能だ。

ひるがえって現代は、限りなく風通しの悪い、氣色が悪い、想像力欠乏寒心貧血時代、ひとことでいえば、そんな時代のような認識、だから自分は、と考えるのだ。

企画をするなんてことは、40歳まで考えもしなかったが、成り行きで企画をすることになり、とくに40代の10年は無我夢中で企画していた。50代、時代の趨勢とは異なる企画に情熱を傾けることで、わがままに、個人的ないろんな思いのつまった企画を奇跡的に続けることができた。

そして何かが確実に終わった。この間、長きにわたって私の企画を応援してきてくださった方々に、いったん企画者は廃業しますという案内を書いて送った。

しかし人生は続き、サンナンでの日々が私に新しき世界をもたらし始めているのを、何よりも私自身感じ始めている。いったんステージを降りたら、またもや別のステージが待っていたといった風なのである。

先のことは全くわからない、下り枯れゆきながら、これまで私の企画に足を運ばなかったような方々にも見て頂けるような企画ができたら、夢、幻。ハムレットはいう、この天と地の間には哲学など及びもつかないことがある、と。

このままでいいのか、いけないのかそれが問題だ。ハムレットも、後は沈黙、と語るまで敢然と運命と向かい合って生きる、そして死ぬ。

(亡き父の形見の蛤の碁石が今日の写真です、父が最も使っていた家宝です、いつの日にかレイ君に上げようと思っています)


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