ページ

2014-05-23

歳を重ねながら、うきうきする感覚を、なるべく見つけるためには、何をしたらいいのか考える。

サンナンで働き始めてから、間もなく8カ月になる。これからいよいよ梅雨にはいり、暑い夏を迎えることになるのだが、暑さ対策のためになるべく朝早くから仕事をするようにしたいと考え始めている。そうすると朝ブログを書くことができなくなるので、その対策をどうしようかと今思案中である。

なにはともあれ、とにかくまずは1年を何とか乗り切りたいというのが私の願いなのである。そのために、わたしは限りなく生活をシンプルにシフトダウンしている、といっても過言ではない。

この年齢で、新しきこと、とくに農の仕事に挑むのは、健康な体あってこそのことだから、たびたび書いているが、身体の手入れに、時間を費やすようになってきた。一日でも健康に穏やかに畑ライフが、続けられるように、オーバーに書けば、我が体を使い切りたいとの思いだ。

精神と体の、淡いなんとも言えない微妙なバランスを、若いころはとんと意識しなかったが、55歳を過ぎるころから、かなり意識をしながら生活するようになってきた。わたしは父親になったのが遅いので、すべてにおいて、ヒトよりあらゆる点で気づくのが遅く、人並な感覚が、10年くらいずれているような気が、正直している。

何かよくは分析できないのだが、世間の常識や、時流におもねる生き方のようなことには、とんと関心がないというのか、早い話合わないところが、とても多いのである。良し悪しは置いといて、いつも少数者のほうに、軸足を置いて懐疑的に生きる狭き路を好ん選んで生きてきたかのような感がある。

なぜこのような感覚が、身に着いたのかは、ようようにして少し自己分析をすることができたように思うのは、最近のことである。そのことは大部の文字数を要するので、ブログで書くことはできないのだが、記憶を持つようになってから小学校に上がるまでの暮らし、生活環境によるものが、決定的要因をなしているとの、結論だ。

若いころはそのずれが、自分でもコントロールすることがあらゆる点でかなわず、自分で自分を持て余しながらも、なんとか高校生で、演劇的な世界に触れるところから、精神の居場所を見つけることができ、なんとかこの世界を泳ぎ、今を生きさせてもらっているという認識。

とくに、わたしをj常識的な感覚世界に導いたのは、やはり娘が生まれたからと思う。その娘が結婚するというのだから、わたしはますます常識的、人並月並み的な生活者になりつつあるような気がしている。
がしかし、いささか矛盾丸出しなのだが、世間的な常識や浮世の約束事なんかは、実にはかなくも移ろいやすくもろいことは、ちょっと歴史を知れば分かることである。人間はわたしも含め、いろんなその時代の空気感を、とくに日本人は大切にしているような民族性を持っているように思うが、私自身は、懐疑的な精神を可能な限り持ち続けたいとの思いがやまない。

そのことを、持続することはわたしの能力では、なかなかにたいへんなのだが、そんなに難しく考える必要もない。ただ自分という器が気持ちのいい方向に向かって生きればいいのだから。歳を重ねるに従って、若いころには及びもつかなかったことをことを、考えるようになってきたことが、つまりは楽しい。

歳を重ねるということは、未知との遭遇なのだ。肩こりを抱えながらも、いまだ思案できる動く器があるということ。うきうきする感覚は、自分で見つけてゆくしかないものだ。

(今日の写真は、K女子が畑で見つけた雲雀の卵がふ化しました。生命の誕生、N氏が早くブログにアップしろと優しく、うるさいのです。畑では何かが日々変化します)

0 件のコメント:

コメントを投稿