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2014-05-20

Uさんとサンナンの畑に課外レッスンにゆきました。

昨日のブログを、静かに読み終えた。さて、昨日月曜日は、カルチャープラザでのたった一人の生徒さんである、Uさんが3月に84歳を迎えたということを知ったからではないのだが、五月最も時候がよく、お天気もいいので、途中から課外レッスンということで、ドライブがてらサンナンの畑へ赴いた。

(今日の写真は、開き始めたばかりの我が家の蔓バラです)

みんなが働いている、サンナンの職場も外からさっと見学し、今収穫している畑に着いたのが11時半近く。Uさんは童女のように喜んでくださった。菜食のUさんは自室で、時折自炊されているとのことで、玉ねぎのスープを作るといって私が植えた玉ねぎを、自ら生まれて初めて引き抜かれた。

人生で初めて経験することはいくつになってもうれしいものだ。畑で何度も深呼吸するUさんの姿を見ていて、課外レッスンをUさんがお元気に通って来られる間は、可能な限り続けようと思った。

西大寺駅で、お別れする前に、私の家にもちょっと立ち寄り、庭のバラを見てくださった。母にも紹介し、母自慢の庭の菜園場でわずかの時間だったが、同世代での会話を楽しんでおられた。

このようなことを自分がしようとは、思いもしなかったが、Uさんの生き方を見ていると、私もあのように歳を重ねてゆきたいものだという気持ちにとらわれるのである。1929年生まれの大先輩である。大連からの引き揚げ者である。

何よりも、知的好奇心がいまだしっかりとされていることに、一番驚かされている。自分があれくらいの年齢になった時に、あのようにシェイクスピアが読めるだろうかということも含めて。もしUさんが、ある一定のレベルで、読むことが叶わなかったらレッスンは難しいのだが、Uさんはきちんと読めるのである。

そのことが、私を毎週カルチャープラザに通わせている。立場を超えて、いまやレッスンとともに、Uさんに会いにゆく時間になりつつある、そのような気がしている。

二人で、シェイクスピアを読む時間になりつつあるのである。そのことを二人して楽しんでいる。老いて、下ってゆく時間の中で、残り火(美)を豊かに生きることの確認が、声を出しながら出来るなんて、オシャレではないか、と私は思うのである。

18年もパリに住んでおられたので、パリに友人たくさんおられ、その方々とお話しするためにケアハウスの自室に、電話を引くと話されるUさんは嬉しそうだった。

その年齢にならないと分からない、感じられない、いわば宿命的な感覚を人間は生きなければならない、その毅然とした覚悟がUさんにも、母にも感じられる。

身近に二人、晩年を豊かに過ごしている方達と接することができている私は、まさにお手本としてしなければ、もったいないとの思いにかられてしまうのである。私はつくずく反省する。

私も含め、同世代で、このようなさわやかな存在感を醸し出せる方には、残念だがほとんどお目にかかっていない。のほほんと育った世代とは、明らかに異なる、その差異はどこから来るのか、今のうちに、しっかりと学びながら、私自身のこれからを可能な限りリセットしたいとの思いにかられる。

1 件のコメント:

  1. シネマクレールで「ドストエフスキーと愛に生きる」というドキュメンタリー映画を観ました。
    第二次世界大戦時、ドイツ占領下のウクライナで通訳として働き、その後 ドイツに移った女性が主人公ですが、現役の翻訳者というその女性の年齢が 84歳。

    機会があれば、ごらんになっていただきたい作品です。

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