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2014-06-01

早6月、義理の息子になるレイ君が岡山に里帰りしてきました。

今日から6月ですね。もう今年も5カ月が過ぎました。個人的な我がままあるがままブログですから、何よりも自分自身のあやふやさが、おのずと我が文章には、恥ずかしき至らなさも含めて、丸ごと、読む人がきちんと読めば、映っていると思います。

これまでも何度も書いています。生きてゆくことはかなりの程度に、恥をさらしてゆくことだと私には思えます。これまでの人生、あまり今はまだ、振り返りたくはないのですが、あまたの恥ずかしきことの上に成り立っているという認識があるのです。

小さいこと、自分にとっての大きなことの、過ちや至らなさの失敗を繰り返しながら、その経験を踏まえおりおり反省しながら、矛盾まるだし、かろうじての今現在の暮らしを、この年齢を迎えて、生きているというのが、正直なところです。

何度も書いているので、あまり書きたくはないのですが、可能ならこれからの未来時間は、波長の合う、気持ちのいい方達と楽しくすごしたいということと、いま現時点やっていること以外にはほかにもうやりたいということが、見当たらない最近の私です。

最もこのような状態も、時の移ろいとともに、長くは続かず、今後も多くの試練困難がつづいてゆくのだとは思うのです。がそのことも含めて、それが人生だと受け入れてゆく中で、自分の人生の愉悦的苦楽を丸ごと生きてゆく覚悟を、もっと書けば、雑草が大地に場所を見つけて根を張るように、私もまた、なんとか気持の安らぐ場所に根を張り、そこに棲めたら、もうなにおかいわんやといった、心境なのです。

ところで、昨夜母レイ君も含め家族5人で、岡山のお寿司屋さんで、夕食を共にしました。これまでは、私がかなりおしゃべりをしたのですが、昨夜はレイ君を中心に妻母娘たちの語らいを聴きながら、静かにビールを流し込む楽しさを味わいました。

どこか遠くから、未来人たちの将来をおもんぱかる余裕のようなものが、かすかに自分の中にに生まれつつあるのではないかという感覚。これまでは限りなく、自己中心的に生きて動いていたのですが、身近な大切な存在たちの役に立ちたい、見守ってゆきたいかのような。

【写真は、昨夜お寿司屋さんでの、レイ君、次女、母、妻】

このようなことを書くと、何やら達観したかのようにとられるのが嫌なのですが、昨日も書いたように、つかんだと思っても、するりとそれは逃げてゆきますから、細心の注意で大胆に日々を生きなおすささやかな覚悟が自分の場合は、とくに必要だと考えています。

だからこそ、いい意味での刺激を、演劇的にブログで書きつづることで、自分自身の精神安定を、安上がりに自己満足的に楽しんでいるのかもしれません。

それにしても娘が選んだ青年は、自分の若いころと比較して、さわやかで気持ちがいい。そのことは親ばか丸出しですが、親としてささやかなつとめを終えた安堵感をもたらしています。


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