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2014-06-09

第一回発表会が終わり、w・シェイクスピア遊声塾2年目が始まります。

夢が原完全退職後、この一年数か月の私自身の生活の様変わりと言いますか、この年齢になっての充実感は、たとへようもなく、ただただ、深い呼吸をしながら、自分を含めた万物に感謝したくなる、心境である。

さて、一昨日なんとか、シェイクスピア遊声塾第一回の発表会を終えることができ
た。1年前よもやまさか、このような発表会ができるなんて思いもしませんでした。この場を借りて、5名の生徒さんに、深く感謝をお伝えしたく思う。

何事も、継続して未知の世界に踏み込んでゆくことは、年齢を重ねてゆくと、なかなかに勇気と困難が伴うことであることは、私自身が十分に自覚している。そんな中、わずか一年であれ、素敵な生徒さんに、ほとんど宣伝もしていないのに、巡り合えたことは、幸運以外の何物でもない。

この一年の、思考錯誤と、とくに農の仕事を始めながらの、遊声塾の継続は、何よりも私自身の内面的な生活に新たな展開をもたらしてくれているということを、実感している。数は少なくてもこの生徒さん達のおかげで、何やら自分の今後に、老いてゆく中での希望の覚悟のようなものが、ほの見えてきたように感じられるのだ。

わずかに8カ月だが、畑と声を出すという、一見両極端の私の今後のライフスタイルは、老いてゆく
自分の体を見つめてゆく中で、これ以上望むべくことがないくらいに、私には適した時間の過ごし方なのだという確信が生まれつつあるのだ。

今はただただ、謙虚に畑で土と問答、遊声塾で声を出しながらの問答、の時間を過ごせば、きっと人生の4幕目が自分にとって充実したものになるという確信のようなものが生まれてきたのである。よしんば、思わぬアクシデントに見舞われても、そのことも含めて受容してゆくといった覚悟が。

畑で体を動かし深い呼吸をする、声を出し深い呼吸を繰り返す、文章を紡ぎ出しながら、静かな呼吸を繰り返す。こんなことを書くと、何やら悟ったみたいで、ちょっと気恥ずかしくもあるのだが、(最後の呼吸の直前近くまでもし意識が明晰なら理想だが、)おそらくそうはならない時のために書いておきたいのだが、最後の呼吸を自然に受け入れてゆくための訓練を、と今はただ願っている。

話は変わる。そこで声を出し続けるテキストは、私にはシェイクスピアしかない、間違いの喜劇のエミリアのセリフではないが、30数年ぶり私は再びシェイクスピアに出会ったような気がしているシェイクスピアの37本の芝居を全部もう一度声に出して読みたいという、夢が生まれてきたのだ。

もちろん翻訳された、素晴らしい日本語でである。25歳の時、初めて海を渡り、ロンドンで100本以上の舞台に触れたが、ほとんどはシェイクスピア作品。私は当時翻訳されていた日本語の文庫本を可能な限り持って行き、芝居の流れを理解したうえで劇場に足を運んだ。(ロンドンで私は日本語の豊かさに開眼した)

驚いたのは、私の無知、歴史劇始め私の読んだこともない作品が、上演されていたこと。もちろん翻訳もされていない。がしかし、私は劇場に足を運んだ、中でもヘンリー6世3部作、上演時間は9時間に及ぶ。

本国でもなかなかに上演されない大作、私はこれを観るることができた。その幸運はたとへようもない。シェイクスピアの底知れぬ天才性がいかんなく発揮されている。若かった私は、劇場で茫然とした。日替わりで一部二部三部と上演され、時折朝から三部作が一気に上演された。私はそのチケットを宝物のように持っている。

通しての上演と、日替わりでの上演と二回、私はヘンリー六世を見ている。話がそれた、私は遊声塾で、ともにシェイクスピアを声に出して読む仲間をもっと増やしたいと願っているが、よしんばそれが叶わなくても、自分の中にシェイクスピアを可能な限り読み続けてゆく楽しみが、今回の発表会で確信に変わった。

1 件のコメント:

  1. 日高さん。このブログは、どこかの歌詞ではないですが、「日本のどこかで」ひっそり、日高さんからの言葉を「待っている人がいる」とおもいますよ。
    勇気づけられ、明日への励みにしている人がいると思いますよ。
    遊声塾の発表会お疲れさまでした。次に向けてまた頑張ってください。
    ぼくも5月18日に30年ぶりの舞台を行い、東京での恥ずかしい赤面だらけの日々を、これからよきものにしていきたいと思っています。59のぼくはこれから朝飯です。

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