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2012-06-02

6月2日の朝に思う

友人が撮影監督岡山で上映したい

6月2日の朝がきました、うっすらと夜が明け始める気配、起きてまだ30分もたっていません、先ほどシャワーを浴び(何と幸せな)コーヒーを入れ、日本の歌手のシャンソンを聴きながら、パソコンに向かっています。退職で一区切りついたからなのでしょうし、年齢もあるでしょうが、歌がしみいるこのごろであることは、以前も書きました。



企画者というのは、何か新鮮に歌が沁み入ってくる、心がふるわせられるくらいの感性、感覚がなくなったらまずいと思います。だから水がよどまないようにはしているつもりなのですが、人間は(私は)そうは簡単にはゆかない生き物なのです。だから私なりに、私という存在を日々保つ、確認するために、私なりにささやかに(とくに書きませんが)あれこれ心がけています、自分を過信しないために。自分を信じないと出来ないし、そこらあたりの間合いが、難しい。



ひとつの音に、世界を聴く、ということを亡くなった武満徹(文章も素晴らしい)さんがいわれていましたが、オーバーに言えば、生きているということは、日々の世界の音や光を、新鮮に感じるということなのかもしれません。



芸術は、やはりよどみがちな人の心を洗うために、その多くは存在しているように思います。私自身は、気の遠くなるような人類の歴史の中に豊かに息づく、音楽芸能や、あらゆる多分野の芸術の存在がなかったら、なんとも潤いの無いさみしい人生を送ることになりますしとても耐えられないでしょう。



芸術は精神を浄化するだけではなく、生きる勇気や、戦う勇気も与えてくれます。これまで生きてきた時間の中で学び感じてきたことを、これからの人生でより生かすためには、日高事務所を創り、企画者で再出発することが、やはりわたしにできる一番の選択なのだと思います。



闇が色濃く覆う、時代の到来の予感はありますが、だからこそ、繰り返しそのような苦しい時代を乗り越えてきた先人たちの声に耳をすませ、聴きとり、今を生きる勇気を取り戻すような企画をやりたいのです。



9月7日(金)土取さんの明治大正時代の演歌、私も知らない時代の唄、楽しみです。何かとりとめのない、朝ブログになりました、ご容赦を。それから打ち間違いや、変換ミスも多い、わたしの思いつき文章ですが、これもご寛容を。




1 件のコメント:

  1. とても 素敵なチケットが 届きました。
    これ ライブ会場で 回収されてしまうんでしょうか

    検印 押していただいて かえしていただければ 
    額に入れて 飾っておきますけど(#^.^#)

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