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2012-06-07

岡山人名録・A氏(1)

新婚旅行で買ったアフリカザンジバルのドア、見ずらくてすみません

昨日一日、夢が原で終日肉体労働に(私はトレーニングのつもりでいます)励み、ぐったり疲れ家に帰ると、郵便振替の通知が久しぶりに届いていました。この15年くらい大きなイベント、ポスターやチラシを作って告知をしなければならない企画については、協賛を募っているのだが、早速、四御神で不動産業をしておられる、しんけん土地のAさんからの協賛振り込みの通知でした。



私の企画に対して応援して下さる方は、この間サンクリニックのY氏を書いたのが最初ですが、私が岡山にきて出会った、私の企画を支えてくださる、岡山人名録を、(協賛者だけではなく)これから思いつくままゆっくり書ける日に書いてゆきたく思います。



A氏との出会いはもうおそらく10年以上も前のことになります。ご縁は私が岡山市の地域づくりか何かの講演会に、講師として呼ばれたことに始まります。氏と私は同じ年で、同じ時代を地方から上京し、苦楽の同時代を呼吸していたという、共通の青春東京ライフがあるのです。私は飯田橋に合った佳作座という名画座でよく昔の映画を見ていたのですが(18歳、ここで見た・禁じられた遊び・は、哀切な音楽と共に、忘れられません、泣けて仕方がありませんでした、それくらい純粋でした。今は、良くも悪くもいろんなことを知りすぎてしまった、おじさんになってしまいました)氏もまた、佳作座で映画を見ていたそうです。もちろん当時はおたがい知るよすもないわけですが、あの頃の青春時代の空気感、匂いは、話さなくても通じ合えるのです。



さて、A氏とは40台の終わりのころ、私がイベントの協賛集めで奔走し疲れ果てていたころ、夜も更けて岡山駅で偶然再会しました。私は酔っていまして。ベンチにへたり込んでいたのですが、氏の姿を確認すると、どうしてもやりたいイベントがあるのだが、協賛してもらえないかと、酔いの勢いもそのままに、ぺらぺらと語りかけたのです。すると氏は、持ち合わせの中からいきなり紙幣を取り出し、私の胸のポケットにねじ込んだのです。酔眼朦朧の私ではありましたが、その際の・ある夜の出来事・はハッキリと記憶しています。



多くを語らなくても、そのとっさの行動に、氏の男義が現れています。氏は息子さんとMさんという事務の女性の3人で、不動産業を堅実に経営しておられます。この大変な時代の最中、マイナーな芸術や文化、私の企画を応援して下さる方がいるということが、どれほど私の支えになっているか・・・。いらい、一貫して応援して下さっています。多忙な氏が事務所にいないことも多いのですが、私はこの事務所に往くことが楽しみでもあります。というのは、ゆくと息子さんが美味しいコーヒーをいれて下さり、Mさんも笑顔で雑談できるという、サロン的な雰囲気があるからです。地域にふらっと立ち寄れる、場所があるということは絶対的に大切なことだと思います。この人が立ち寄ってゆくというのは、やはりA氏の人柄だと思います。しんけん土地、ささやかにすぎますが、五十鈴川だよりで推薦いたします。



私にできることは、スポンサーの応援にこたえるべく、良い企画をする、以外に思いつきませんが、これからは、共に遊べる時間が私にも訪れましたので、山歩きとか御一緒したいとおもいます。

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