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2012-06-08

チケットの行商に思う

愛用の名刺入れ

昨日の休日、所用があり笠岡に行ったついでに、ふだんなかなか会えない方々に逢いました。私の近況を、といいますか再出発する旨をお伝えすることと、これから9月7日に向けて、ちりも積もればの気持で、チケットの行商をお休みの日のやってみようと決めたからです。



皆さん大変な家計の中、いずれも私と同じくつましく暮らしている方々ばかりなのですが、犬も歩けばのたとえ通り、詳しくは記しませんが、好反応でした。中に笠岡市役所で働くS氏、出会った当時は20代前半、今は私が岡山に来た歳と同じ、40歳になっていました。本当に久しぶりの再会、旧交の話は弾み、すぐに私の意を解してくれその場で、チケットを一枚買ってくださいました。



眼に見えない物も買うということをする人間という生き物の、少数ではあるけれども、存在することの素晴らしさ。また企画でもしない限り、なかなか直接会って言葉を交わしたりすることもない、普段のなんともはや忙しいわれわれの暮らしむき。チケットの行商は時代の変容の中で、各人必死で(私もその一人です)生きているその姿が、私の眼に映ります。また合わせ鏡のように、60歳の私の姿も映っているのだと思います。

        

行商してみると、まさに時代がよく見えますし、ヒトもまた実によく見えるという気がします。労を惜しんではならないということもまた教えられます。



年齢に関係なく現役で企画する間は、歩かなければいけないと思い知らされます。表通りからは見えてこないこの時代を、健気に生きている庶民の姿が見えてきます。こういう市井に生きておられる方々が、元気になるような映画や、一人芝居や、音楽や、トークショウなどなど、日高企画はなるべく安く、楽しんでもらえる企画をやらなければならないとも思いを新たにするのです。



朝5時過ぎ、ブログを書くことからスタートし、夕方5時までフルに日高企画の仕事をしました。生きている充実感は冷や汗まで含めて、汗をかくことの中にあるのかもしれません。夜は、昼の疲れた体を、ゆっくり休めるためにあるのです。



企画力というのは、何かを感じる力に、とどめをさすのかもしれません。そのためには何をすればいいのかを、謎のように探し続けるしかありません。


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