ページ

2012-06-05

手作業で、半日封書作業

一輪だけ咲いていた我が家のバラ

二日ブログを書かないと、何か随分書いていないような気がします。まあそれくらい、日々何がしかの、身辺雑記を書くということが、いわば私の楽しみ、自分自身を慰安しているのかもしれません。



おとといの日曜日、朝5時過ぎからブログも書かず、夕方6時近くまで(途中昼寝をしました、これが休日の一番の楽しみ)日高事務所のことを集中してやりました。私のこれからを応援して下さっている方々に、土取さんの邦楽番外地の仮チラシと手書きのチケット、それから、いきいき遊悠塾のチラシを送る作業をしました。これに午前中を費やしました。



万年筆で宛名書きからしますから、何かと時間がかかるのですが、やはりどうしても手で書きたくなるのです。手でやがて書けなくなる時が来るまでは手で書くつもりです。中にはどうしても、一筆書かなければならない(長いお手紙をいただいたりして)かたもいらしたりして、そういうときには音楽の力を借りて、集中して書きます。



現代において、時間をかけて、イベントを企画することができるということは、私自身はかなり贅沢なことではないかと考えています。ハンドメイドな手間をかけることを惜しまずにやること、そのことを楽しむ遊び心、その余裕がなければ、いい企画は生まれない、と私は考えます。



そのようなことは、当たり前のことであるという気がしますが、この当たり前ということが、そもそも現代という時代性の中では、埋没しかかっている(あるいは気づいていない)というのが、私の認識なのです。ファッションのように、音楽も消費されて、やがてその多くは泡のように消えてゆくというのでは、お粗末を通り越して、あまりにさみしすぎるという感が否めません。



オーバーですが、愛や(あまり私自身は好きな言葉ではありません)感動は、そんなに頻繁には生まれえないものであるというのが、私の認識です。御馳走はたまに頂けるから美味しいし、お祭りは一年に一度でいいのです。ゆっくり織物を織りあげるように企画するということを、出来る限り意識しながら、来てくださる方々との(間接的であれ)精神的交流が生まれるような企画をやりたく思うのです。



今朝メールを開くと、早速倉敷のN氏から、私の出した封書の反応がありました。企画を進める過程から、このような反応があるということが、いわば企画者の喜びです。






0 件のコメント:

コメントを投稿