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2012-06-26

蟻のように自己満足的に書き綴る朝

母が育てた今年初めてのトマト

ブログを書いてはいるのだが、本当に私はIT音痴である。先日ブログを立ち上げてくれた、娘の男友達ドイツ人の、レイ君がけっこうアクセスが来ていることの、確かめ方をおしえてくれた。



コメントはなくても、開いてくださっている方の数のおおよそがわかるということは、とても興味深いし、やはり嬉しく、虚空に向かって書いてはいても、励みになる。外国からもアクセスがある。



ヒトと共生できない(それもありだと思う)、することに、生き苦しさを感じている方たちが、随分増えているように感じるが、私は他者という存在がないと、自分も存在しないと考えているから、ときおり空虚感におそわれることも無きにしも非ずだが、いまのところ、自己満足的に書きつづっている。



2年8カ月近く書きつづっているわけだけれども、積み重ねればかなりの量になっているはずだ。他者の眼に触れるわけだから、いささか襟を正して毎回、思いつくよしなしごとを書き続けてきて、本当によかったと今思える。石の上にも3年という諺は、やはり真理をついていると思う。



否でも、自省力、内省力、反省力、ということが起こってくるように思える。何度も書いているかもしれないが、これはブログの効用というしかないものである。



自分のあるがままの限界感のようなことも感じるが、その感じるということが、自分では大切なのではないかと思うのだ。何事もやってみる中からでしか、見えてこないものがあるのだと思う。まだかろうじて蟻のように前進している自分を感じられるから、ブログが書けるのだと思う。



2年8か月前の自分とは、確実に異なる自分が生まれてきているのは、自分自身が一番自覚している。やはり先の自分自身が、わからないということ(世界もまた)が素晴らしく面白いのではないかと思えるのだ。



先がわかっていたら、いきいき出来ないと、考える側を私は呼吸している。




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