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2022-02-26

【ただ歩く・無意味に歩く・冬の朝】2月26日義父の命日の朝に想う。

今日から3連休、肉体労働バイトは今月は昨日で終わった。

今日は義父の命日である。10回目のウォーキング、なぜか足はふたたび岡山駅まで向かった。今回は音読も、途中寄り道もなし、ただただ地面を踏みしめ、なるたけ深呼吸しながら、できるだけおなじリズムで歩いた。

途中スマホで写真を撮ったのと、ドリンクを飲んだ以外は、ひたすら駅を目指して歩いた。

家を出たのがまだ薄暗い朝の6時20分、岡山駅についたのが8時50分。なんと2時間半でついた。前回は、相当寄り道をしたのである。今回は普通に今現在の体力測定のような気持ちで、ただ歩いたのだが、思ったよりも楽に歩けたのには自分でも驚いた。

前回歩いた日は、やはり相当な疲労感がからだにあったし、それなりに筋肉痛ににもなった。が、今回はほとんど疲れがなく、余力を残してのゴールだった。結果想像以上に楽しい前回とはまた違ったウォーキングができたことを五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。

今朝の夜明け

古希を迎えて、こつぜんと始めた、私なりの事始め行脚だが、わずか10回程度ではなんとも言えないが、新たな世界が見つかったというと大袈裟だが、なにか内なる目に見えない世界の深まりのようなものを感じ始めている。

競争相手なんていないし、ただただ自分自身を慈愛するかのように、古希を迎えることができた感謝を己の体に込めながら、これまでお世話になった方々への慰霊におもいを馳せ、ただただ歩ける内に歩こうという気持ちの深まりが確認できたことを、打っておきたい。

晴れ晴れという言葉がある。天晴れという言葉がある。清々しいという言葉がある。気持ちのいいことは続けられる。やはり10回目でかなり体がウォーキングに慣れてきたからなのだとだとも思えるし、何よりも今現在これだけの距離をこれだけの時間で歩ける体力が備わっていることへの在りがたき気づきは、やはり形容しがたく嬉しい。

あすはゆっくりと体を休めほかのことに集中し、あさっては妻との6回目のウォーキング。手の届く範囲で、面白おかしきことを見つけながら、夫婦での時間を大切に、まさに歩む。

岡山駅について赤穂線を待ちながら、コンビニで求めた熱いコーヒーがなんとも言えず美味しかった。わずかなごほうびであるが、きっと昔のヒトは慎ましくも裕にいきる術を心得ていたのに違いない。

赤穂線に乗りスマホを開いたら、次女から7ヶ月の孫の裸のダンスの動画が送られてきていた。無性に命のいとおしさが込み上げてきた。


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