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2022-02-20

5回目の妻とのウォーキングの翌朝の朝に想う。

 よく休んだ体で、なるべく新鮮な心持ちで、可能な限り邪心なく流れて行く五十鈴川だよりを、10年目いよいよ自念に綴り往きたいと、想う朝である。

おそらく一年前手術をしてから五十鈴川だよりは、かなりの変化が見られるのではないかと、打っている本人は思っている。

あえて言葉を選んで打つが、心の微妙な変化というものは、いったいなぜいかようにして生じてくるのかは、皆目自分でも判然としないのが不思議である。あれほど打ち込んでいたことに、まるで興味が湧かなくなったりする不思議は、例えは悪いが恋愛が冷めてゆくかのようにもおもえる。

もっと打てば、自分でもようとはわからないの言うのが、正直な気持ちである。だがこのようなわがままに、わからないままになにか、体の奥深いところでの声のような、虫の知らせのような、いわばお導きのようなお告げ感覚があるからこそ、なにかを手放し未知の世界にいざなわれてゆく、としか今は言いようがない。

岡潔先生の言われる、日本人の心といったものがなへんにあるのかは、私ごときはまったく考えたこともなかったので、これから先の時間のなかで許せる限り、凡ぷの頭で考えてゆきたい。なぜ五十鈴川だよりを打ちたいのか、なぜふるさとが呼ぶのか、なぜ音読したいのか、なぜ歩きたいのか、なぜあの人に会いたいのか、なぜあの人とはうまく行かないのか、なぜ旅をしたいのか、なぜ懐かしいのか、なぜなぜなぜなぜと、玉葱の皮を剥くようにきりがない。

だが、気の向くまま。風の吹くまま風情の赴くまま流れてゆく他はない、はかなくも例えようもない不確かな心を抱えている存在が、きっと移り変わる自分なのだろう。移り変わる今日の私という他はない。

とまあ、朝からいささか正面切った、五十鈴川の流れになってしまったが、話を変える。昨日午前中妻とメルの3人でみさおやまの入口まで車でゆき、そこから護国神社まで往復した。所要時間一時間半、思いもかけず雪が降ってきた頃、ちょうど駐車場にたどり着いた。

家に戻って、薪ストーブに火を入れ、それからは午後ちょっと人にあった以外は、終日家のなかで夫婦二人だけの時間を、のんびりとすごした。夕飯のあと二人して好きな俳優の出る韓流のドラマを見る。まるで漫画のような嘘をここまでエンタメ徹底展開して、とまあ、あきれながらも変に感心なぜ今こういうドラマが流行っているのかは、私の頭の及ぶところではない。(タダコウ言う嘘八百のドラマを作り上げるスタッフ、俳優も含めそのエネルギーには脱帽する)

そしておもうのは、人間はかくも嘘に騙される存在、おれおれ詐欺にせよ何にせよ、欲望に足を掬われる悲しき存在とでも言うしかないのである。私なども何度もそういう痛い思いをしてきたえられてきたのから。(そういう人ばかりではないから    わたしなどは救われている)

もっと打てば騙されることにもどこかしら快感を覚える存在とでも言うしかないほどのものであるかもしれないと時に絶望的におもう、でなければあんなにCMをオンエアーするはずがない。

私も含めヒトは幻想に弱いのである。だから油断してはならないのだ。老人ミーハー(古くて申し訳ない)の私としてはこれ以上は打たないが、韓国のお金狂いもの狂い社会をどこかでからかっているように私には思えてしまったのである。ドラマのなかで、北朝鮮の貧しき社会のなかでけなげに助け合って生きる民衆の姿が、皮肉なことに現在の韓国社会を逆照射しているようにも私には思えたのである。日本もにている。

護国神社にて妻とメル

どこかに、他者の痛みを思いやる余裕なき社会、持てるものが持てないものを上からの優位目線で無自覚であることが、私には恐ろしい。現実社会は理不尽で不条理に満ちているとおもうのであれば、それはなんとかしようとおもうのが、普通だとの側に私は棲みたい。

愛の不時着、レイさんがネットフリックスで見れるようにしてくれたお陰で、思いがけない絵に描いたような嘘のドラマを妻と冬の夜長見るはめになったが、細部に普通の人間の発する善き言葉がちりばめられている。(人生の愛の着地はありやなしや、人間の尊厳を見失ったら闇である)

それとやはり韓国の男女の俳優の素晴らしさである。個性的な脇役人が勢揃いである。内容はともかく顔を眺めているだけでどこか私には懐かしいのである。

韓国の映画の質の高さには五十鈴川だよりではほとんど触れていないが、アカデミー賞をとるのがうなずける。コロナ下ずいぶんと日本映画ではなく韓国映画にはお世話になっている。もう20年近く見続けている。昔見たヒロインがお母さんやくをやっていたりするのは、日本も同じだ、映画には時代の流行り推移が鏡のように映っている。ことほどさように時代の相貌はあっという間に姿を変える、が、変わらない心のあり方を大切なことを見失わない思索を続けないと、簡単に足元を時代の波にさらわれてしまう。(とくに私のようなやからは)岡潔先生から素直に学び続けたい。

ウクライナでの緊張が高まっている報道が、ずいぶん見られた昨日の雨の一日だった。

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